堂之脇理事長の掲示板


 特定非営利活動法人 日本紛争予防センター

堂之脇 光朗

1954年 東京大学法学部卒業、外務省入省。

在米国大使館公使、在中国大使館公使、欧ア局審議官、在ホノルル総領事、中南米局長などをつとめた後、ナイジェリア大使、ジュネーブ軍縮会議代表部大使、メキシコ大使を歴任。1996年から2004年まで外務省参与。その間、国連小型武器政府専門家パネル議長(1996-97)、国連事務総長軍縮諮問委員会議長(1996-97)国連小型武器政府専門家グループ議長(1998-99)を務め、2001年の国連小型武器国際会議ではハイレベル・セグメント(閣僚級一般討論部門)の議長をつとめた。著作には『予防外交』(編著、日本国際フォーラム発行、1999)などがある。

2010.4.19
第10事業年度を迎えたJCCP

第10事業年度を迎えたJCCP

2010年4月19日

 当センター(JCCP)が特定非営利活動法人として東京都庁に認可されたのは2002年の2月末でした。そのため、同年3月末までの初年度の事業活動は「なし」とされ、同年度のすべての事業活動は当センターの前身である「日本予防外交センター」の事業活動とされたのです。2002年4月からが当センターの第2事業年度とされ、そのように数えて今年の4月からが第10事業年度となります。今年が設立10周年であるかのように誤解されがちですが、実際に10周年を迎えるのは明後年2012年2月となります。
第10事業年度の事業計画と収支予算は去る3月末に明石康会長を議長として開催されたJCCP第17回総会で承認されました。その中でとくに注目に値するのはカンボジアにおける事業活動の終了と、東アフリカにおける事業活動の発展でしょう。
 カンボジアに関しては数日中に発行されるニュース・レター(6巻1号)にも寄稿文を掲載するので詳しくは述べませんが、「日本予防外交センター」の時代から先方政府の要望に応えて内戦終了で不要となった小型武器の回収、管理、破壊などを手伝う事業活動を行ってきました。これは平和定着に貢献する有益な事業で、所期の目的を達成することができました。このほか、民間財団を含む多くの助成団体のご支援を得てラタナキリ州での少数民族への識字教育事業とか、僻地での小学校建設などの事業も実施してきました。
 他方、この10年ほどの間にカンボジアの社会、経済の復興は着実に進み、国内紛争再発の懸念も遠のき、紛争予防と平和構築への民間の貢献を推進するとの当センターの本来の事業活動の対象国とは言えなくなってきたことも事実です。そのため、カンボジアは親日的な国で当センターとしても長い関わりから愛着心を捨て難い気持ちはあったのですが、第9事業年度をもってすべての事業活動を終了し、現地事務所も現地職員たちに十分な予告期間を与えた上で閉鎖する運びとなったのです。
 このカンボジアでの事業活動の終了を補って余りあるのが最近の東アフリカにおける事業活動の拡大、発展です。当センターは2年前に在ケニア代表事務所を設立してユネスコと共同で東アフリカ諸国の現地NGOの平和構築分野での能力強化事業を行ってきましたが、その後、選挙暴動後の国内避難民キャンプやスラム地域での住宅建設や心のケアなどの分野でのCBO(地域任意団体)の能力強化プロジェクトを立ち上げました。今年に入ってからはこれをJICAによる助成事業として実施することになりました。さらに、昨年11月からはUNDP(国連開発計画)ソマリア事務所からの委託を受けてソマリアの地域コミュニティーの長老などの伝統、文化を活用した地域レベルでの治安改善事業にも取組んでいます。
以上の在ケニア代表事務所の事業活動に加えて、当センターは本年1月からは南スーダンの首都ジュバにも代表事務所を新設し、路上生活を余儀なくされている子どもや若者などを対象に啓発、職業訓練事業をジャパン・プラットフォオームの助成により開始したところです。
 このように当センターの事業活動は東アフリカを拠点として着実に拡大する傾向にありますが、これは3年前に瀬谷事務局長を迎えたときからある程度予測されていたことです。当時は2008年のアフリカ開発会議(TIKADⅣ)開催を前に日本政府もアイデアを模索し、募っていました。アフリカでの平和構築活動の分野での経験が豊かな瀬谷事務局長の知識、経験が少なからずお役に立ったのですが、TICADⅣ終了後の今日でも平和定着のためのニーズが高いアフリカの状況には基本的に変わりがないからです。
 以上に述べたケニア、ソマリア、スーダンでの当センターの事業活動のどれ一つとっても事前調査から企画、立案、そして実施のそれぞれの段階で多大な時間と労力を要する作業であることは言うまでもありません。瀬谷事務局長自身も昨年は約7ヶ月間をアフリカ出張で過ごしたほどですから、理事長の私としましては事務局長、在外代表も含め本部と在外の職員一同の熱意と献身に心から敬意と謝意を表する次第です。
 事業拡大にともない当センターの予算規模も本年度は前年度にくらべ倍ほどの2億円余りに増大しており、今後も一層の拡大基調にあると考えてよいでしょう。このように幸先のよい第10事業年度を当センターは神田川から10メートルほどしか離れていない新らしい本部事務所で迎えました。川の両岸に満開の桜並木は噂に違わず圧巻でした。花冷えの日々が続いたのが残念でしたが、却って身も心も引き締まる思いで、希望に満ちた新年度を迎えることができました。
 当センターの会員、支持者の皆さま方には今後とも一層のご理解、ご支援と、ご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。


2010.1.18
核軍縮進展の鍵を握る2010年

核軍縮進展の鍵を握る2010年

2010年1月18日

 以下は日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に1月15日に掲載された私の投稿記事です

 暮れの12月15日に東京で鳩山首相とラッド豪首相に提出された「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」(エバンス・川口委員会)の報告書を一読した。英文の本体だけで約230頁あり、同じくエバンス氏が中心となって13年前にまとめた「キャンベラ委員会報告書」の約5倍の長さである。2012年までの短期目標、2025年までの中期目標(核兵器の総数を米ロそれぞれ500発以下、全世界で2000発以下など)を設定し、その先の目標として「核兵器ゼロの世界」を掲げている。読み応えのある提言集であり、今後長年にわたり核廃絶への処方箋として参照されることになるであろう。

 他の類似の報告書とくらべ、不拡散体制強化の論議に大きな比重が置かれているのが、この報告書の特色であるが、核軍縮に焦点をしぼってみると、「インド、パキスタン、イスラエルも含めてすべての核兵器保有国は、核兵器のない世界に向けての努力を誓うべきである」とし、そのような世界が実現するまでは、核兵器国が同盟国のために「拡大抑止」を維持するのは当然との立場で一貫している。例えば、「拡大抑止」は「拡大核抑止」と同一ではないとしながらも、「アメリカの通常兵器能力が突出すると、他の核兵器諸国の核廃絶への抵抗も強まるので、通常兵器能力のバランスも必要である」としている。それでも、「化学兵器や生物兵器による攻撃を抑止するには、核兵器では均衡を失するので、圧倒的な通常兵器による対応で十分である」と論じ、さらには、「北朝鮮がその僅かな核兵器で自国の安全が保証されると考えるとしたら大間違いで、北朝鮮による無謀な挑発は自殺行為となる」と論じている。

 他方、米ロ両国大統領の任期第1期終了の2012年までの短期目標としては、START条約の更新、米国によるCTBT条約の批准、すべての核兵器保有国による「核兵器保有の唯一の目的は核攻撃の抑止である」との原則の承認などを提言している。START条約更新に関しては、昨年7月に両国の大統領間で核兵器の削減目標数などの大枠が合意され、調印は12月上旬の失効以前とされていた。しかし、検証制度などの細部についての交渉が長引き、新条約が発効するまでの間は既存の条約の精神で協力するとの暫定合意で今日に至っている。新条約が調印されても、発効には米上院による承認が必要であり、肝心なCTBT条約の上院での承認はその後の話で、「地平線上に暗雲」といった感じである。

 そもそも、本年5月のNPT運用検討会議の成功のためには、START条約更新が必須の条件とされ、CTBT条約の上院承認はその後とされてきた。ところが、START更新条約の上院承認には米国の「核政策レビュー」の完了が前提であり、こちらの作業完了も年末までと言われていたのが2月1日、さらには3月1日へと延期されている。そして、アメリカでは中間選挙で政権与党が議席を増やすのは容易ではないことから、11月の選挙前に米上院のCTBT承認を求めるとなると、時間的余裕は極めて乏しい。しかし、アメリカが積極的になったおかげで世界的に高まってきた核軍縮に向けての機運が、失われることの損失はあまりにも大きい。本年4月の米国主催の核セキュリティー・サミットとそれに続く5月のNPT運用検討会議の成功により、機運が一層高まり、「暗雲」が吹き飛ばされ、2012年までの短期目標達成に向けて進展することを望みたい。

2009.10.8
本部事務所の移転など、JCCP近況ご報告
(第16回通常総会を終えて)

本部事務所の移転など、JCCP近況ご報告
(第16回通常総会を終えて)

2009年10月8日

私が明石康会長に頼まれて当センターの運営体制建て直しのために理事長をお引き受けしたのは3年前の2月でした。当時のこの掲示板でも述べていますが、その年の8月の第10回通常総会で大幅な定款改正、組織体制のスリム化、合理化などの一連の措置が承認され、再建に向けての第一歩が踏み出されたのです。

 3年前の当時は外務省やジャパン・プラットフォーム(JPF)などの助成団体への事業助成の申請も自粛していたので年間事業費収入も数百万円程度(継続案件)といった最低の状況でした。その年の10月には経費節約のため本部事務所も六本木ヒルズ近くの麻布十番から湯島に移転してきたのです。明石書店の石井昭男社長から市価の数分の一という破格の家賃で現在の事務所を提供して頂いたからです。まさに、地獄で仏に会ったような心地でした。ノーベル平和賞のアジア版と言われるマグサイサイ賞を受賞されるほどの方ですから、当センターの活動趣旨をよく理解して下さり、3年間の期限付きでしたが、「その間に力をつけてください」と励まして下さったのです。

 その後3年が経ち、いよいよ来月にはこの事務所を後にして早稲田に移転することになりました。「ひとり立ち出来るほど力がついたのか?」と問われれば、正直なところもう少し時間が欲しいのですが、いつまでも甘えることは許されません。幸い、当センターはこの3年の間に次第に本来の活気を取り戻し、事業活動を着実に拡大することに成功してきました。自粛していた事業助成への申請も2年前には再開され年間事業費収入も3千万円ほどに達しました。その翌年にはこれが4千5百万円ほどに増大し、4年目の本年度には1億円に迫る状況となっています。

 当センターのこのような力強い復活ぶりにつきましては9月9日に開催された第16回通常総会の席で私から報告しましたが、瀬谷事務局長からも最近の事業活動の展開状況について詳しい説明が行なわれました。この1年間に開始された新規事業を列挙してみると、先ず南セルビアでは松元洋在バルカン地域代表と上田貴子プロジェクト・コーディネーターにより小学生を対象とする民族間融和事業が実施されました。外務省の助成を得て行われた事業です。カンボジアでは少数民族の識字教育を日本国際協力財団の助成により開始しました。また、本年4月に内戦が終了したスリランカでも塚本俊也理事に現地調査をお願いするなどして国内避難民キャンプで妊産婦健康改善支援事業を開始しました。

 言うまでもなく、最も多くの新規事業が開始されたのは東部アフリカ地域でした。高井史代在ケニア代表が責任者となって実施している東アフリカ地域の現地NGOの平和構築分野での能力強化事業はUNESCOとの共同プロジェクトですが、すでに第2年度に入っており新規事業ではありません。しかし、ケニア国内でJPFの支援を受けて開始された暴動被害者への心のケア支援事業と「国際ボランティア貯金」の助成を受けて開始された国内難民のための給水・住居支援プロジェクトは今年に入ってからの新規事業です。

 このほか、瀬谷事務局長が昨年秋にはUNDPケニア事務所からの業務委託を受けてケニアの国際平和支援訓練センター(IPSTC)の2年間の訓練計画を企画、立案しました。また、同事務局長は本年1月から3月にかけても外務省のNGO事業補助金からの一部助成によりスーダンに出張して案件立案のための調査を実施しました。NHKはその様子を取材して4月に「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放映しました。このようにして企画、立案された南部スーダンでの子供や若者のための職業訓練事業がJPFの支援のもとに開始されることになり、プロジェクト・コーディネーターの中西美恵さんが近日中に現地に赴任する予定です。さらに、本年5月からは瀬谷事務局長がUNDPからの依頼を受けてソマリアにおける国内治安改善のための情報収集とアセスメント、モニタリングおよび評価手法の構築を実施中です。

 以上に述べたように当センターの海外における事業活動はこの3年間飛躍的に拡大しつつあり、在外代表、日本人職員などの顔ぶれも次第に充実してきています。また、NHKのテレビ番組放映もあり当センターの知名度も格段と高まっています。このような喜ばしい成果は瀬谷事務局長の活力と行動力に負うところが少なくありません。2年前の4月に当センターが同事務局長を迎えることができたのが「大正解」であったのです。

 他方、当センターの活動は未だ発展途上の試行錯誤の段階にあることも否定できない事実です。とくに、海外事業の拡大につれて本部事務局の人員的、財政的基盤の整備が急務となっております。このため、当センターとしましては会員、支持者の確保、拡大にも引き続き力を入れてまいりますので、昨今の経済情勢は厳しい折ですが、皆様方の暖かいご理解とご支援お願い申し上げる次第です。

 末筆となりましたが、来月からの本部事務所の移転先は早稲田大学とフォー・シーズンス・ホテル(椿山荘)の中間の神田川沿いの場所となります。都内で残された唯一の路面電車である荒川線の終点「早稲田」駅のすぐ近くです。麻布十番、湯島もそうでしたが、今回も江戸・東京の伝統文化の情緒が漂う由緒ある土地柄となります。これを機に心気一新して頑張りますので、引き続きご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

2009.7.17
「核なき世界」と「拡大抑止」とは両立する

「核なき世界」と「拡大抑止」とは両立する

2009.7.17

以下は日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」にて7月9日に掲載された私の投稿記事です。


 オバマ大統領は4月5日のプラハでの演説で「アメリカは『核兵器のない世界』に向けての具体的措置として、先ず核兵器の役割を縮小させるが、(他国の)核兵器が存在するかぎり、抑止力としての核兵器は保有し続け、同盟国の防衛を保障する」と述べた。前段は核軍縮への決意表明であり、後段はいわゆる「核の傘」の再確認である。前段の核軍縮についてみると、核兵器の役割を縮小させる努力はブッシュ前政権時代にも2002年のモスコー条約などにより核兵器を大幅に削減する方向で進められてきたし、核兵器への依存度を減らす努力も2001年の核政策の「新しい三本柱」の中で非核攻撃力にも言及するなどして着実に推進されてきた。

 オバマ政権になってからは、プラハ演説でCTBT批准に向けての決意が表明され、7月6日には米露間で新たな核軍縮条約「新START(戦略兵器削減条約)」の枠組みが合意されるなど、取組みが一段と本格化している。後段の「核の傘」については、5月25日の北朝鮮の2度目の地下核実験を受けて行われた電話会談で、オバマ大統領は麻生総理に「核の傘を含む拡大抑止」のコミットメントを改めて確認した。冷戦時代から核兵器の唯一の使い道は、核兵器などによる先制攻撃を目論む相手国に対して核兵器の圧倒的破壊力による報復が避け難いことを悟らせて攻撃を思い止まらせる抑止力としての使い道であるとされてきたが、その「核の傘」である。このように、核兵器は実際に使われる兵器というよりは心理的、防衛的な性格が強い兵器である。効果を発揮するには、相手側が自分自身や国民、国土の安全につき合理的な判断ができることが前提となる。

 守るべき国土や領域もなく、身を隠して、自爆テロも辞さないテロリストのような敵が相手であれば、抑止論は通用しない。独裁国家とかテロ支援国家などはその中間に位置するのであろうが、合理的な判断力があり「核の傘」の抑止力が有効な相手に対しては、これを堅持するというのがオバマ政権の政策である。「核の傘を含む拡大抑止」との表現が意味するものは、核兵器以外の通常兵器も含めたアメリカの圧倒的な軍事力による抑止に他ならない。通常兵器の方が実際に使える兵器という意味で抑止に役立つ場面もあるであろう。そして、アメリカは同盟国に対しては潜在的な敵からの脅威に対する「拡大抑止」を約束しているのであるから、わが国はこれに応えてアメリカとの間の緊密な同盟関係の維持、強化につとめるべきであろう。

 他方、抑止論の枠外の存在であるテロリストに対しては、犯罪者として逮捕、処罰するなどしてその無力化をはかると同時に、彼らが核兵器を入手できないようにする必要があろう。以上のように「核兵器のない世界」に向けての努力と「拡大抑止」の有用性は相矛盾するものではなく、両立するものである。核を減らしながら拡大抑止を堅持することは可能だからである。ところが、以上に述べた状況についての十分な認識がないまま、核兵器を実際に使える最強の兵器であると思い込み、アメリカに「核の傘」の保障を求め、それが保障されない場合には核武装に向かうべきだとする極論も散見されるようであるが、これは認識不足からする短絡的な発想という他はないであろう。

2009.7.3
法政大学の長谷川ゼミで小型武器問題につき講演

法政大学の長谷川ゼミで小型武器問題につき講演

2009.7.3

去る6月29日に法政大学法学部で講演しました。同学部の長谷川祐弘教授は国連事務総長特別代表として東チモールで活躍された方で、当センターの研究会にも2年ほど前に講師として来ていただきましたが、今度は私が同教授の平和構築論ゼミナールで小型武器問題について話をするようにと頼まれました。当日はゼミのメンバーだけでなく法学部1年生の希望者も含め40名以上の学生たちが熱心に聴講してくれ、質疑応答もきわめて活発でした。

 以下は席上配布された講演要旨です。



国連による小型武器問題への取組


1.日本が主導した小型武器問題への取組(1995年〜2003年)

 日本が提案した国連決議により任命された政府専門家パネル及びグループ(いずれも私が議長)の報告書(1997年及び1999年)を基礎にして2001年に国連小型武器会議(その閣僚レベル会合議長も私)が開催され、「行動計画」が採択された。2003年の第一回「隔年会合」の議長は猪口邦子大使がつとめた。

 以上の取組に先立つ「前史」として、国際武器取引を登録する国連軍備登録制度の設立と国連事務総長の軍縮諮問委員会での小型武器論議(いずれも私が関与)があった。


2.小型武器とは何か?

 戦闘員が持ち運べる軍用武器であり、➀小火器、➁軽兵器、➂手投げ弾などの爆発物の三種類からなる。猟銃とか刀剣類は除かれ、車両などで運搬される大型兵器(国連軍備登録制度の登録対象兵器)も除外される。


3.大型武器でなく小型武器が注目されるようになった理由

・第一に、非正規(ゲリラ)戦争で威力を発揮するのに最適な武器であること。

・第二に、紛争地において安価に大量に入手可能で、子供でも使える武器であること。

・第三に、紛争終了後も回収できずに放置されがちな武器であること。


4.小型武器問題解決のための対策

 政府専門家パネル及びグループの報告書をはじめ、数多くの地域会合などで提言が採択されたが、その集大成が2001年の「行動計画」。便宜上、需要サイドに着目した対策と供給サイドに着目した対策とに分けて考える。


5.需要サイドに着目した対策

・DDR(戦闘員の武装解除、動員解除、社会復帰)

・治安制度改革(SSR)

・司法制度の整備、民主化支援

・平和構築のための包括的アプローチ

・以上につき被害諸国への能力強化支援


6.供給サイドに着目した対策

・武器の生産、所持、取引、輸出入などを規制する国内法令の整備

・税関や国境での武器密輸取締り体制の整備

・軍や治安当局による武器や武器庫の安全管理体制の整備

・以上につき支援を必要とする諸国への能力強化支援

・国際的な輸出許可基準の整備、確立 ➔ ATT条約に向けての努力

・武器の刻印制度などによる「トレーシング国際文書」の採択

・非合法なブローカー(仲介)取引の規制に関する政府専門家報告書の採択


7.「行動計画」のフォロー・アップ状況

 上記の「トレーシング国際文書」の採択と「ブローカリング」に関する報告書の採択は「行動計画」の提言の実施であった。「行動計画」のその他の諸提言の実施状況を検討するための隔年会合は03年、05年に成功裏に開催されたが、06年の「履行検討会議」は成果文書の採択に失敗し悪影響が懸念された。しかし、08年の隔年会合で国際社会の力強い決意が再確認され、現在は10年の隔年会合、12年の「履行検討会議」に向けて準備中。また、本年からATTに関する作業部会会合も発足した。


8.国連の平和活動のなかでの小型武器問題の位置づけ

 ブトロス・ガリ元事務総長は「平和への課題」において国連の平和活動には紛争の段階に応じて予防外交、平和創造、平和維持、平和構築などがあるとした。小型武器に関する1995年の最初の国連決議はこのような武器の「過剰で不安定化を招く蓄積」を「予防」し、「削減」するための方策につき報告するよう求めた。このように、当初は小型武器問題は予防外交、紛争予防の観点から重視され、また平和維持段階における武器の回収、破壊などの「削減」の問題として重視された。

 「予防外交」は90年代中ごろから国連第一委員会で活発に議論されたが、その実態は「紛争予防」であり、しかもその殆どは紛争の再発予防に他ならず、平和構築活動に他ならないことから、最近では「平和構築」を中心に議論されるようになっている。

また、平和維持段階における小型武器の「削減」についても、ブラヒミ報告書などでDDRなどの活動は長期的、包括的アプローチを必要とし、平和構築段階と一体化して対処する必要があるとの指摘が行われた。こうしたことから、国連60周年サミットの成果文書は2001年の小型武器「行動計画」をエンドースし、「平和構築委員会」を設置した。


(関連するトピックス:
「全米ライフル協会から目の仇にされる」、「国連最初のDDRセミナー」、「国連総会議長席の座り心地」、「マニラ市警視総監の内話」)

2009.5.11
瀬谷事務局長のテレビ出演

瀬谷事務局長のテレビ出演

2009.5.11

瀬谷事務局長が4月21日のNHKのテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演しました。 多くの方々に視聴していただき、極めて好評であったことを大層嬉しく思っています。 また、瀬谷さんの飾り気のない、ありのままの人柄を伝え、マイケル君のような一人の若者の支援にも労を惜しまない姿の密着取材に 力を入れた番組製作者者たちの編集方針には大いに感心させられました。

 長年の紛争で甚大な被害を受け、難問山積のアフリカ大陸の現場で一人の若者に手を差し延べる努力はあまりにも小さく、空しいように思われるかも知れません。 しかし、決してそうではありません。地元の関係者でなく国際NGOでなければ出来ない役割といったものも存在しますし、 そのような小さな努力の積み重ねが大きな力となって時代の流れを変えていく可能性も決して否定できないからです。

 すでに10年ほど昔の話となりますが、私は国連の小型武器問題責任者の一人としてDDR(武装解除、兵役解除、社会復帰)構想を作りあげる作業に取組みました。 そのお陰で世界各地での国際会議に招かれましたが、2002年7月にマニラで開催されたセミナーでは市の警視総監の招待で小型武器破壊式典にも参列しました。 その席で警視総監が私に「銃の所持が当たりまえであったこの国で、銃を持つのは良くないことを一般市民に理解してもらうために警察が率先してこのような式典を開く時代が来るとは思ってもいなかった」 と感慨深げに述べたことが忘れられません。

 もちろん、たった一度の式典でマニラ市が銃社会から平和な社会に変貌するほど物事は単純に進むわけではありません。 しかし、潮目が変るように、以前には不可能と思われたことでも次第に現実となることは歴史が証明しています。 国家であれ、個人であれ粗野な力に物を言わせて不条理を通そうとするやり方では「無理が通れば道理が引っ込む」ばかりです。 そこで、ルール作りによってそのようなやり方を次第に息苦しいものとしていく努力こそが紛争予防や平和構築の努力であり、軍備管理・軍縮の努力でもあるのです。 英語で言うところの”norm setting”、 すなわち「規範設定」の努力なのです。

 人間には夢があり、それに向かって努力するからこそ希望があり、進歩があるのだと思いますが、瀬谷事務局長が出演したテレビ番組をみてその思いを強くした次第です。

2009.3.4
武器輸出規制のためのATT以外のイニシアティブ

武器輸出規制のためのATT以外のイニシアティブ

2009.3.4

以下は去る2月27日、28日に外務省とOxfamが共催したATT(武器取引条約)に関するアジア太平洋地域会合に専門家として出席した私が行ったプレゼンテーションの概要メモと配布資料です。ATT問題に多少とも関心のある方々のご参考に供したく思います。この会合は我が国はもちろん、アジア・太平洋の諸国から政府関係者、NGO関係者など50名ほどが参加して行われたものです。


1.全般
 ATT(武器貿易条約)締結に向けてのイニシアティブは通常兵器の輸入、輸出、移転に関する国際共通基準を法的拘束力のある条約として採択するための努力である。当然のことながら、そのような国際基準の設定はそれ自体が目的ではなく、より高い目的達成のための手段に過ぎない。武器の国際取引が無規制のままであれば武力紛争(及び犯罪)の頻発を招き、一般市民が甚大な被害を蒙るので、国際的な共通基準を設けてそのような被害の軽減、防止をはかろうというのがATTの本来の目的である。

 この本来の目的を達成するのにATT締結が有力な手段の一つであることは疑いないが、締結すればそれで事足りるわけではない。条約であるから締約国に義務を課すことはできても、非国家主体による非合法取引までも(国際社会が)直接取り締まる仕組みにはなっておらず、また、条約に署名、批准しない国を拘束することもできないからである。

 その反面、法的拘束力はなくても国際社会が協調、協力して行う政治的な努力により武器取引規制に貢献することは可能である。たとえば、勧告的な国連決議によるものであっても武器に関するデータの登録・公表制度が設立されれば武器取引の規制に役立つことは明白である。実態の把握なくして規制はあり得ないからであり、これは信頼醸成措置、透明性向上措置と呼ばれる政治的努力である。

 また、2001年の国連会議で採択された小型武器「行動計画」も法的拘束力のない政治文書に過ぎないが、小型武器の非合法取引を撲滅するために各国が共同して実施することを約束した「行動計画」であり、それなりの成果をあげている。

 要するに、法的拘束力のあるATT締結に向けての努力と関係諸国が武器取引規制のために協調、協力して行う政治的努力とは車の両輪のようなもので、相互補完、相互補強の関係にあると考えてよい。


2.国連軍事支出報告制度
 信頼醸成措置、透明性向上措置として最初に(国際連盟時代の試みは別として)登場したのが1980年の国連決議で設立された軍事支出報告制度である。1978年の第一回国連軍縮特総で盛り上がった和平ムードの中で、各国の軍事費に関する情報を一定の様式にしたがって国連に毎年報告する制度として設立された。しかし、1980年代を通じて毎年NATO加盟の20国前後が参加するにとどまり、決して成功とは言えなかった。軍事情報は機密が当然とされていた冷戦時代の「あだ花」といったところであった。

 ところが、冷戦終了後の90年代に入り信頼醸成・透明性向上措置の有用性への認識が深まるにつれ参加国数は30前後へと増加した。これが一挙に60国を上回るようになったのは2001年以降のことで、関連する国連決議の共同提案国であるドイツとルーマニアの熱意と努力のお陰であった。それ以降今日まで参加国数は80前後で推移している。

 この報告制度によって申告される情報は陸、海、空三軍の予算とか人件費、武器調達費などであるが、情報の量、質は国によりまちまちである。また、各国の通貨による申告であるため比較が困難で、検証の手段もないのが欠点である。しかし、年数を重ねるにつれて各国の軍事支出の増減などの動向を把握するのに役立つとの利点もある。

 当面の課題はこの制度の質的改善よりも、参加国数を増やして普遍化をはかることであろう。何故なら、通常兵器武器取引を規制するATTを締結するにしても、軍事費に関するこの程度の情報公開にも応じない国連加盟国が半数以上という状態では大きな進展を期待することができないからである。

 当初の80年台はNATO諸国が中心であった参加国が90年代には東欧諸国も含めたOSCE諸国へと広がり、最近では簡素化された報告様式が導入された結果アジア諸国からの参加も10国程度となってきたことは喜ばしい。しかし、参加国数は次に述べる国連軍備登録制度に比べれば未だ少なく、普遍化のための一層の努力が望まれる。


3.国連軍備登録制度
 冷戦終了直後の1990年のイラクによるクウェート侵攻は戦車、戦闘機などの大型通常兵器の無節操な国際取引の弊害を浮き彫りにした。当時の米国軍縮庁の統計年鑑によれは中東諸国への武器輸出の約90%が安保理5常任理事国からのもので、イラクの1983年から1990年の間の武器輸入は約530億ドル、同国の輸入総額の50%以上という常軌を逸したものであった。こうしたことへの反省から1991年にわが国とEU(当時のEC)が共同で提出した国連決議により設立されたのが国連軍備登録制度である。(私自身この制度には設立当時から直接関与してきた。)

 この登録制度により各国は毎年戦車、戦闘機など7種類の大型通常兵器の輸出入の数量(金額でなく)を国連に登録することとなった。簡単、明瞭で登録しやすいことを売り物にした登録制度であった。それでも、透明性増大とか信頼醸成措置の概念は冷戦時代後半の欧州東西間交渉の産物であり、これになじみの少ないアジア、アフリカなどの大多数の諸国、とくにその軍関係者の理解を得るのは決して容易ではなかった。しかし、結果的には1992年の初年度からこの登録制度への参加国数は80国を超えたので、上記の軍事支出報告制度にくらべれば大成功であった。

 この制度への参加国数が100の壁を突破したのは2000年からのことであるが、これは3年ごとに開催される運用検討政府専門家会合(GGE)がこの年から登録対象となる7種類の兵器の輸出入が皆無である諸国は「取引ゼロ」との簡単な書式で登録すればよいとした結果であった。登録対象となる大型通常兵器は毎年30国程度が輸出し、50国程度が輸入するにとどまり、大多数は「取引ゼロ」の諸国であるが、そのような国も含めてなるべく多くの国が登録に参加することの意義が認識されたからであった。

 なお、この制度の普遍化との関連で見落とすことができないのは中国の参加である。中国の初年度からの参加が多くのアジア諸国の参加を促す効果があったことは否定できない。ところが、不幸な事情により1997年からは中国が参加を見合わせるに至った。中国の復帰が実現したのは2006年からであったが、そのことの意義は決して小さくない。

 今後の課題としては、先ずは制度の一層の普遍化が望まれる。最近の参加国数は毎年110数国であり、国連加盟国のうち170国もが少なくとも一度は登録した実績があるのは結構なことであるが、「ゼロ登録」国を含めてさらに多くの国が常連の参加国となることが望ましい。また、アジアでは未参加の北朝鮮、ミヤンマーなどへの働きかけが、さらには中東やアフリカの20国ほどの未参加諸国への働きかけも必要であろう。

 この登録制度の質的内容についてみれば、SIPRI年鑑の統計などから判断して金額的には国際武器取引の95%以上が登録されている計算となり、また、備考欄への型式やモデルの登録も普及していることは評価に値するであろう。加えて、輸出国と輸入国によるそれぞれの登録データをクロス・チェックできる点もこの登録制度の一つの強みであると言えよう。

 しかし、この制度の設立以来懸案とされてきた武器の国内調達と保有に関する「データ」を登録対象に含める問題が未解決のままである。当初から国連加盟国は輸出入に関しては「データ」を登録することを「要請(call upon)」されたのに対し、国内調達と保有に関しては「情報」を登録することを「慫慂(invite)」されてきたに過ぎなかった。後者は前者より義務性が少なく、自発性が高いとの了解であった。この国内調達や保有に関する「情報」を毎年登録しているのは西欧諸国を中心とする20数国で、決して多い数字ではない。この「情報」の登録を国際取引に関する「データ」の登録と同じく義務制の高いレベルにまで引き上げることが望ましいとされてきたのである。

 その理由は、国内調達や保有も取引と同様に扱うのでないかぎり、武器を輸入に頼らざるを得ない国は武器を自前で生産できる国に比べてより多くの情報公開を義務づけられ、安全保障上不利な立場に立たされるからである。さらに、透明性向上の観点からも武器の国際取引だけでなく生産から保有、そして廃棄にいたるまでの全体の流れが把握できるようにすることが望ましいからである。この問題は透明性だけでなく、ATTが目指している武器国際取引の規制にも共通する課題であると考えてよいであろう。

 しかし、現実問題として登録の対象を国内調達、保有にまで拡大できるかとなると、アラブ諸国の多くはイスラエルの核疑惑問題の解決なしにはそのような拡大に賛成できないとしているので、この問題の解決は極めて困難と言わざるをえない。中東和平の進展に期待する他はないかも知れない。

 もう一つの長年の課題は小型武器の取扱いである。登録制度設立直後の1994年頃から小型武器問題が国連で脚光を浴びるようになり、7種の大型通常兵器に加えて小型武器もこの登録制度の登録対象に加えてはどうかとの議論は早くから存在した。結局、2001年の国連小型武器会議の結果待ちとなっていたが、2003年の運用検討政府専門家会合の勧告により希望する国は小型武器の輸出入に関する情報を背景「情報」として自発的に登録することができることとされた。さらに、2006年の政府専門会合ではそのような情報の登録のための標準登録様式も合意された。

 その結果、2007年分については30数国が情報提供に応じ、140国程への200万丁以上の小型武器の輸出が「情報」として登録された。本件制度が本来は数えやすく登録しやすい大型の通常兵器を対象として発足したことを考慮すると、把握し難く登録が面倒な小型武器につきこれ程多くの情報が登録されたことは予想以上の成果であり、時代の要請を反映する前進と考えてよいであろう。

 もっとも、殆どは2000年の域内合意が存在するOSCE諸国からの情報の登録であり、最大の武器輸出国である米国からの情報登録は未だである。また、アジア諸国からの情報提供は2006年分についてはバングラデッシュ、韓国及び国内生産からの調達を報告した我が国だけであり、2007年分についてはブルネイ、インドネシアといったところである。

 今後の課題はこのような小型武器に関する情報登録を如何にして質的、量的に改善していくかであろう。


4.国連小型武器「行動計画」
 2001年の国連小型武器会議開催に際しては法的拘束力のある文書の採択を目指すべしとの意見が西欧諸国やアフリカ、ラ米諸国の間には根強く存在したが、結局は政治的な文書としての「行動計画」が全会一致により採択された経緯がある。(私自身はそれに先立つ政府専門家会合当時から最近まで小型武器問題にかかわってきた。)

 ところが、各国はこの「行動計画」の第Ⅱ章第11項で小型武器の輸出を許可するに際しては国際法上の義務に準拠した厳格な国内的な規則、手続きにしたがってこれを行うことを約束したのであるから、輸出許可の国際基準を明確にするためのATTの締結はまさに「行動計画」により各国が約束した努力であると言ってよい。

 もっとも、そのことは「行動計画」で約束された他の政治的約束の実施を後回しにしてよいことを意味せず、むしろ同時並行的に実施することがATTの締結促進にもつながることは冒頭で指摘したとおりである。 現に、小型武器のトレーシングに関する国際文書が2005年の国連総会で採択され、2007年にはブローカリングに関する政府専門家グループの報告書が採択されたが、これは「行動計画」の着実な実施であり、前進に他ならない。また、2003年、2005年と開催された隔年会合も有意義な成果をおさめた。

 ところが、「行動計画」採択5年後の2006年に開催された再検討会議はなんらの成果文書も採択できないという残念な結果に終わった。このため、「行動計画」への国際社会の熱意や関心も失われるのではないかと大いに懸念された。しかし、幸いにして昨年開催された第3回隔年会合でそのような懸念は一掃される結果となった。これまでの記録を上回る100以上の国から提出された国別報告書を基礎に充実した討議が行われ、取り上げられた四つの議題について「今後の道筋(The Way Forward)」を含む成果文書が圧倒的多数の賛成で採択されたからである。これは、失敗を繰り返してはならないとする参加諸国の強い決意とチクリス議長のすぐれた指導力のお陰であった。

 今後の予定としては、周知のとおり、昨年暮れの国連総会でのわが国などの共同提案決議の採択により2010年に第4回隔年会合が開催され、また、2011年までにオープン・エンドの政府専門家会合を開催の上、2012年には再検討会議が開催されることが決まっている。したがって、今後は各国による「行動計画」のさらなる実施に加え、明年からの3年間に開催される一連の国連会議の成功に向けての努力が必要となるであろう。

 最後に、見落としてはならないのは、「行動計画」とは一見無関係であるかのような国連の平和構築活動の多くが実質的には国連小型武器「行動計画」に添ったものであることである。今日の平和構築活動の重要な部分を占めるDDR活動(武装解除、動員解除、社会復帰――その関連ではSSR「治安部門改革」も同様)の重要性が最初に認識されたのは2001年の国連小型武器会議に先立つ小型武器政府専門家パネル及びグループの報告書作成の過程においてであった。その過程での問題提起もあり、国連PKO局や各国がDDRに関するシンポジウムを主催するようになり、1999年7月には安保理会合でもこれが討議され、議長声明も発出された。

 他方では、同じく90年代中頃から関心が高まるようになった「人間の安全保障」問題の論議においてもDDRが言及されるようになり、2005年の国連創立60周年サミットの成果文書による国連平和構築委員会設立となったことは周知のとおりである。また、それに関連して、このサミット成果文書では小型武器「行動計画」への支持も言及された。

 このように、「行動計画」の中で各国が小型武器非合法取引を撲滅するために約束した活動の多くが今日では平和構築活動の一環として実施されるようになっている。しかし、これは「行動計画」の権威を損なうものではなく、むしろ「行動計画」の実施を補強し、強化するものであると理解するべきであろう。
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2009.1.29
オバマ政権発足と期待される核軍縮の進展

オバマ政権発足と期待される核軍縮の進展

2009.1.29

以下は、日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に1月28日に掲載された私の投稿記事です。


 アメリカの軍縮問題月刊誌『Arms Control Today』の最新号(2008年12月号)でオバマ大統領が核軍縮政策を一問一答形式で論じている。大統領に選出される直前のインタビューではあるが、方向性は明確に打ち出されている。「最大の目的は核兵器が使われないようにすることであり、核兵器保有もそのためである。新しい核兵器の開発は許可せず、核兵器の究極的廃絶を目標とし、CTBT(包括的核実験禁止条約)の早期批准を上院に働きかける。他方、今日の最大の脅威は核兵器物質がテロリストの手に渡ることで、その防止のための予算を増やし、PSIの強化などで他の諸国とも協力する。ロシアとの間ではSTART Iが本年末に失効する前に実質的延長に合意する」等々である。当然のことながら、「核軍縮の失われた10年」を取り戻したい、との米国民主党の意気込みが伝わってくるようである。

 興味深いのは、この同じ月刊誌にセルゲイ・キスリャック新駐米ロシア大使のインタビュー記事も載ったことである。駐米大使の前は外務次官であったが、1996年12月には京都で4日間開催された核軍縮セミナーにロシア外務省軍縮局長として来日したこともある。その他にも何度か会う機会はあったが、私はこのセミナーの議長をつとめたのでよく記憶している。アメリカのジョン・ホラム軍縮庁長官(当時)との間で理路整然とひけをとらぬ論戦を展開し、それでも「ねあか」で好感のもてる人柄が印象的であった。当時もアメリカは民主党政権で、核軍縮への期待が大きく高まった時期であった。それだけに、今回のオバマ政権発足に先立ってのキスリャック大使の赴任は、さすがにといった感じである。

 なお、1996年はクリントン大統領が第2期の大統領選挙で勝利をおさめた年であったが、その前年にはNPT条約が無期限延長され、上記の京都セミナーはわが国が同条約の強化された再検討プロセスを成功に導くために企画、開催したものであった。1996年といえば、核軍縮に関するキャンベラ委員会報告も発表され、CTBT条約も署名されるなど、核軍縮への期待が大いに高まった年である。しかし、その後1998年にはインド、パキスタンによる核実験があり、1999年には米国上院で共和党の反対によりCTBTが批准されないなど、民主党政権は屈辱的な挫折を味わった。失敗を繰り返すことは避けたいであろう。

 キスリャック大使は上記の記事で、アメリカによる東欧諸国へのミサイル防衛施設の配備に強い懸念を示しながらも、START Iの年内の実質的延長には賛成としている。他方、オバマ大統領は、来年5月のNPT運用検討会議を前に、CTBT条約批准に意欲を示している。核軍縮への機運は十分にもり上がっている。核軍縮は米国以外の核兵器国の意向も重要であり、仮に米・露による核兵器削減が進んだとしても、他の核兵器国や事実上の核兵器国を取り込むことができなければ、問題は解決しない。したがって、非核国であるわが国の貢献の余地は少ないように思われがちである。しかし、オバマ大統領も強い関心を示しているCTBT条約の発効とか、PSIの強化となると、わが国が従来から積極的に役割を果たしてきた分野である。また、昨年9月に川口元外相と豪州のエバンス元外相を共同議長として発足した核不拡散・核軍縮に関する国際委員会も来年のNPT運用検討会議を前に報告書をまとめるとしているので、わが国による貢献の余地は決して少なくないであろう。

2008.10.6
第14回通常総会を終えて(JCCPの近況ご報告)

第14回通常総会を終えて(JCCPの近況ご報告)

2008.10.6

 一昨年と昨年に続き、年度なかばのこの時期に通常総会の結果をふまえてこの掲示板で当センターの近況につきご報告するのが私の役目のようになってきた。昨年は「活気を取り戻したJCCP」との副題をつけたので、今年は「さらに活気が出てきたJCCP」とか「育ちざかりのJCCP」とでもしたいところだが、言葉あそびは差し控える。

 前年度の事業報告や収支決算を承認するための当センターの通常総会は今年は9月4日に開催され、明石会長が議長をつとめた。その少し前の8月13日の朝日新聞の「ひと」欄に瀬谷事務局長が紹介されたので正会員への総会開催案内状にもその記事を添付したが、この報道が当センターの知名度を高めてくれたのは喜ばしいことであった。

 今回の通常総会での嬉しい出来事は目加田説子中央大学教授が新理事に選任されたことである。同教授は1990年代後半から地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)運営委員としてオタワ対人地雷禁止条約締結などのために活躍され、また、国境を越えるNGO・NPO活動の研究家としても著名な方である。私もかねてから名声は伺っていたが伊勢崎賢治理事(東京外国語大学大学院教授)からの推薦もあり今回の理事就任が実現した。

 市民社会が平和と安全保障の分野で果し得る役割は97年の対人地雷禁止条約締結、98年の国際刑事裁判所(ICC)設立条約締結などで注目を浴びるようになったが、これは同じ頃に私が関与した国連の小型武器問題への取組においても顕著であった。将来的には紛争終了地域での平和構築活動における文民の役割が一層重要性を増していくものと予想されるので、目加田教授の理事就任により当センターの役員の顔ぶれが刷新されただけでなく、当センターの新しい力となっていただくことを期待したい。

 なお、伊勢崎教授に言及した序でとなるが、9月22日発行の朝日新聞社週刊誌AERAの「現代の肖像」欄で同教授のこれまでの紛争解決分野での実績がやや詳しく紹介され、この記事も多くの人々の関心を呼ぶこととなった。当センターとの関係も紹介されており、同教授とは当センター設立当時から色々な場面で度々一緒に仕事する機会があった私としても嬉しく思った次第である。 また、今回の通常総会は盛り沢山で、今後当センターの在バルカン地域代表を引き受けていただくことになった松元洋氏と、新しく在ケニア代表としてナイロビに赴任する直前であった高井史代さんの就任挨拶も行われた。

 松元氏は私の長年の友人であるが、10年ほど前にUNHCR(難民高等弁務官)事務局を退職の後JARC(日本緊急行動センター)を設立してその専務理事となられ、マセドニアの事務所を拠点に手広く各種の人道支援活動を行ってこられている。私はJARCの設立当初から名目上の理事長をつとめてきた。ところが、最近になって外務省からJARCは本邦に事務スタッフが不在なため助成事業の実施に際して不便なことがあるとして、私が双方の理事長を兼ねているのであれば同省が助成する事業に関しては松元氏を当センターの現地代表に任命するなどして業務を一本化してはどうかと打診してきた。松元氏の在バルカン地域代表就任はこのような事情によるものであるが、バルカン地域での人道支援活動は民族和解、平和構築活動とも密接な関係があるので、当センターの活動が実質的にこの地域にも拡大していくことが期待できよう。

 高井在ケニア代表はこれまでもアンゴラ、ケニア、ルワンダなどでUNV、JICA、NGOなどのいろいろな身分で活躍してきた実績があるだけでなく、当センターの活動にも何度か参加した経験もあり、当センターの在ケニア代表としてはまさに適任な方である。9月下旬にはナイロビに赴任したのであるが、真っ先に取り組んでもらっているのが事務所設立作業と、当センターが現地ユネスコ事務所と共同で行う「紛争予防・平和構築分野で活躍するNGOの能力強化・ネットワーク支援事業」の立ち上げである。

 このユネスコとの共同事業の対象国はケニア、ウガンダ、スーダンなどの東部アフリカ9カ国であり、主たる目的は関係諸国のNGO職員から選ばれた人たちを能力強化指導員として養成すること、NGO相互間ならびにNGOと国際機関や外国の支援機関との間のネットワークを構築することである。ユネスコと言えば誰でも世界遺産のことを思い浮かべるが、このような平和構築分野での事業は初めてとのことであり、当センターがこの共同事業のパートナーとして選ばれたことは大層光栄なことである。

 そもそも、ユネスコが国連に次いで1945年11月という早い時期に設立されたのは平和及び安全に貢献するためで、国連が扱う軍事・政治以外の教育・文化面などでの貢献が期待されたからであった。このことは「戦争はひとの心の中で生まれるものであるから・・」との有名な文言ではじまるユネスコ憲章の前文及び第一条の文面からも明らかである。当時と違って国家間の平和や安全だけではなく人間の安全保障も重視されるようになった今日の世界においては、暴力や紛争、戦争の文化でなく平和の文化の普及、平和の構築にユネスコが真剣に取り組むのは当然のことであろう。当センターとしてもユネスコの期待に応えてこの共同事業を成功させるべく全力を尽くす必要がある。

 最後となったが、高井代表のナイロビ着任とほぼ時期を同じくして当センターの瀬谷事務局長もナイロビ入りし、今月末まで滞在予定である。同事務局長は当然のことながら現地での事務所設立とユネスコとの共同事業の立ち上げを手伝うこととなるが、今回の出張の主たる任務はUNDPケニア事務所の委託によりナイロビのPKO訓練センターの研修実施計画と能力強化支援策を策定することである。これは本年1月に高村前外務大臣が「平和の創り手『日本』」と題する演説の中で「このたび初めてやり方を工夫し、アフリカ各地のPKOセンターへの日本の支援が回るように致しました」として発表された新政策(本年2月1日の理事長掲示板記事「アフリカと向き合う」参照)が実施に移された結果にほかならない。上に述べたユネスコとの共同事業も同じである。 このような日本政府のアフリカにおける新政策は、本年5月の横浜でのアフリカ開発会議(TICADⅣ)を念頭に打ち出されたものであるが、その策定にあたっては当センターの協力も求められ、瀬谷事務局長が昨年夏に現地調査に出張するなどしたことが記憶に新しい。当センターを含めNGOと政府との関係は無批判な政府追従でありえないことは当然であり、是々非々の態度をつらぬく必要があるが、民間側が比較優位の立場からODAの有意義な使い方などにつき政府に助言、協力することは可能であり、有益でもある。それが生かされたのが今回の事例であると考えてよいであろう。

 以上のように、昨年の今ごろと比べて当センターの活動が一層活気を帯びていることは明らかであり、嬉しいことである。ナイロビにおける事務所開設とユネスコとの共同事業の開始に示されるように、当センターのアフリカにおける活動もいよいよ本格化しつつある。現在の時点では瀬谷事務局長に加えて人員的には純増の高井在ケニア代表もナイロビで活動中であるので、むしろ東京本部の陣容が若干手薄になっている。

 当センターの現在の姿を例えてみれば、育ちざかりの青少年のようなものかもしれない。成長するにつれて活動範囲が広がり、資金繰りでは余裕が乏しくて苦しくても、現場での経験と実績の積み重ねが何よりの成長の糧となっているように思われる。そうは言っても、必要最小限の資金的手当の確保は最優先課題である。事業資金確保はもちろん、寄付金収入や会費収入を増やして財政的基盤強化をはかる必要があることは言うまでもない。したがって、毎回のことであるが、会員各位を含め、当センターの活動を応援してくださる方々の暖かいご理解とご支援をお願いする次第である。

2008.9.19
米印原子力協定の成立をどう評価するか?

米印原子力協定の成立をどう評価するか?

2008.9.19

 以下は日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に9月11日に掲載された私の投稿記事です。

 7月18日付け「百花斉放」に掲載された拙稿「米政権交代待ちの核軍縮をめぐる諸課題」で私は「ブッシュ政権在任中の米印原子力協定の成立は時間切れの様相が強まった」と書いたが、その後2ヶ月足らずの間に残された三つのハードルのうち2つまでがクリアされるという予想外の急展開がみられた。先ず、IAEAとの間の特別保障措置協定締結については、インドのシン首相はこれに難色を示していた左派諸党の代わりに他の諸党と連立政権を組むことにより、政局の危機を乗り切り、無事協定を締結し、IAEA理事会の承認も取り付けた。次いで、一層難しいとされていたNSG(原子力供給グループ)45国のコンセンサスによる「例外化」の承認についても、8月の20、21日、さらに9月4、5日に臨時総会を開催し、さらにその会期を翌6日まで延長して、最後まで躊躇していたニュージーランドなどの数カ国を説得して、承認を取り付けた。

 残された最後のハードルは米議会による承認である。今回の交渉の基礎となっている関連国内法によれば30日間の審議日程が必要とされているが、大統領選挙との関係で米議会の開催予定日は9月8日から26日までの3週間しかない。短縮された審議日程で承認できるようにするには別途の議決を上下両院とも必要としている。このように若干の波乱要因はあるものの、米議会で承認される可能性は極めて高いと考えてよいであろう。

 NSGがNPT条約に加盟していないインドとの原子力協力の「例外化」を承認したことに対してはマイケル・クレポン(スティムソン・センター)、ビル・ポッター(モントレー研究所)などの核軍縮の大御所たちが続々と悲憤慷慨の声をあげており、わが国の主要各紙の論調もほぼ同様である。核兵器国を増やさないためのNPT条約の恩典を同条約の非加盟国で、しかも核兵器を保有するにいたったインドに認めるのは、NPT体制の自己否定となりかねないからである。また、5核兵器国のうち中国を除く露、仏、英も異を唱えなかったのは商業的利益優先ではないか、との批判が出るのも自然なことであろう。

 しかし、嘆くばかりでは明るい展望は開けない。米印協定が成立した場合の積極的利点を見出す努力も必要であろう。先ず、今回の合意の結果、温暖化対策でインドの協力を得やすくなる面があることは否定できない。核不拡散に関しては、インドが部分的ながらもIAEAの保障措置を受け入れ、NPT不拡散体制に協力するようになることの意義は決して小さくない。悪しき先例とならないかの懸念に関しては、これまでの実績からも、インドは不拡散に熱心であるが、パキスタン、イラン、北朝鮮などのためにアメリカがNSGの承認取り付けに奔走することはあり得ず、その心配はないであろう。さらに、インドは核実験自粛のモラトリウムを維持するとしており、これがNSG総会の場での発言を含めて、どこまで法的な約束であるかは議論の余地があろうが、明年以降は政権交代後のアメリカがCTBT(包括的核実験禁止条約)批准に向けて動き出し、この問題でのインドに対する説得力が一段と強まることを期待したい。

2008.7.24
秋野豊氏が遺したもの

秋野豊氏が遺したもの

2008.7.24

国連タジキスタン監視団の政務官として殉職された秋野豊氏の没後10周年記念シンポジウムが秋野豊ユーラシア基金の主催で7月18日に開催され、私も聴衆の一人として参加した。当センターの瀬谷事務局長が総合司会をつとめ、私が40年近くも前からよく存じている木村汎北海道大学名誉教授も第2部の司会をされるというので参加したのであるが、それ以上に、平和構築分野での日本人先駆者としての秋野豊氏の足跡を他の参加者たちと一緒に偲び、讃えたいとの気持が強かったことも事実である。

 秋野氏が殉職されたのは10年前の7月20日であったが、その頃、私は国連で小型武器政府専門家グループの議長をつとめると同時に、国内では日本国際フォーラムが笹川平和財団の助成を受けて発足させた予防外交国際研究グループの座長もつとめていた。予防外交研究グループのメンバーたちは誰もがこのあってはならない悲劇の報に大きな衝撃を受けるとともに、タジキスタンでの和平の実現のために尊い命を捧げられた秋野氏の業績を日本人として誇り高く思ったのであった。

 この研究グループの3年にわたる活動の報告書はその後「予防外交入門」として出版され、その中でも記したことであるが、従来は日本人の間では前大戦への反省から一切の武力紛争がらみのことから距離をおくのが日本独自の平和主義であると考える傾向が強かった。しかし、世界の情勢は大きく変化し、国家間の戦争よりも国内紛争が頻発するようになり、欧米諸国の間では政府だけでなく市民団体もそのような紛争の予防や平和の構築に進んで協力する時代となった。そして、わが国も平和のために積極的に貢献することが求められるようになった。わが国でも1992年には国際平和協力法が成立するなどして国連平和活動への自衛隊の参加の道が開かれた。しかし、わが国の市民社会レベルでの意識改革は未だかなり遅れていた。

 こうした中で、1993年のカンボジアの選挙監視活動での国連ボランティア中田厚仁さんの不慮の死、そして1998年のタジキスタンでの和平活動に従事しておられた国連政務官秋野氏の殉職はわが国の市民社会レベルでも強い共感を呼び、世界の平和と安全のために尽くすことは立派なことであるとの意識を格段と高める効果があった。

 そのような世論の新しい風を背景に、一年後の1999年7月には政府、財界、有識者など各界各層のご理解とご支援のもとに当センターの前身である日本予防外交センターが設立された。そして、当センターはその年から紛争予防市民大学院講座を7年間連続して開催したのであるが、毎回応募者が殺到し、大層好評であった。これは秋野氏の遺したものがいかに大きかったかを示していた。

 その後の趨勢としては、「紛争予防」と言っても実際には殆どが紛争の「再発予防」であり、紛争終了後の再発予防であればブトロス・ガリ元国連事務総長の「平和への課題」以来論議されてきた「平和構築」に他ならないことから、用語としては「平和構築」が一般的に用いられるようになった。そして、東京外国語大学、広島大学など多くの大学で平和構築関連の講座が設けられるようになった。さらに、昨年度は外務省も「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」を広島大学に委託して実施し、日本人だけでなくアジア各国の人たちをも対象とする研修事業を行なったが、このパイロット事業は今年度も引き続き実施されている。


 以上に述べたように我が国において平和構築活動に関心を示す人びとの層は着実な広がりをみせている。今回のシンポジウムで早稲田大学の小野記念講堂の236席がほぼ埋め尽くされるほどの盛況であったこともこれを裏付けている。言うまでもなく、これには秋野氏のご遺志を継いで後につづく若者たちを励まそうと「秋野豊ユーラシア基金」を設立してくださった秋野洋子様のご厚意も少なからず貢献している。同基金による秋野賞の受賞者は1999年から始まって10回目の今年で24名に達したとのことである。これを記念してこのほど主として受賞者たちによる著書「ユーラシアの紛争と平和」が明石書店から出版されたが、これも大層喜ばしいことであった。

 なお、私はうかつにもシンポジウム第2部の「パネル・ディスカッション」を司会された木村汎先生と秋野氏の関係をよく承知しなかったのであるが、先生にお尋ねしたところ、秋野氏は北海道大学スラブ研究所で先生の弟子であっただけでなく、在モスコー日本大使館の専門調査員としても先生の後輩であったことから、少々責任も感じておられるとのことであった。実は、1970年代のはじめであったが、ロシヤ政治思想史の権威として著名な京都大学の勝田吉太郎教授に続く第2代目の専門調査員を木村先生に引き受けていただくようお願いに札幌まで足を運んだのが当時外務省の一課長であった私であった。先生にはそれ以来親しくさせて頂いており、数年前に先生が編纂され、世界思想社から出版された「国 際危機学」の一つの章の執筆を私がお引き受けしたこともある。このようなことから、木村先生を介してのことではあるが、秋野氏は私にもいわば扉一つ向こうの身近な存在であったことになる。

 最後に、我田引水で恐縮だが、このシンポジウムは当センターとしても誇りとすることのできる行事であった。まず、当センターの瀬谷事務局長の総合司会ぶりについて木村先生から大層なお褒めの言葉をいただいたことが私としては嬉しかった。さらに、同事務局長と第1部の「報告」で報告者の一人をつとめた広島大学の上杉勇司准教授はともに第2回秋野賞受賞者であるだけでなく、当センターの第2回紛争予防市民大学院講座の卒業生でもあることが、偶然とはいえ、誇らしく思われた。言うまでもなく上杉准教授は平和構築分野の研究での第一人者としてよく知られており、数多くの著書や論文も発表しておられる。また、瀬谷事務局長も昨年4月に就任以来当センターの事業活動の拡大と発展、とくにアフリカでの新規事業の推進で目覚ましい活躍ぶりをみせている。真に世界の平和に貢献するこのような活躍こそが秋野氏が日本人の同胞、後輩たちに託した夢であったことは疑う余地もないであろう。

2008.7.22
米政権交代待ちの核軍縮をめぐる諸課題

米政権交代待ちの核軍縮をめぐる諸課題

2008.7.22

以下は日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に7月18日に掲載された私の投稿記事です。



 アメリカの共和党のマッケーン大統領候補が5月27日の演説でCTBT(包括的核実験禁止条約)批准問題の見直しもあり得ると言明したことから、オバマ氏、マッケーン氏のどちらが大統領となっても核軍縮が多少は活気を取り戻す見通しとなってきた。加えて、いくつかの核軍縮に関連した国際案件がアメリカの大統領選挙と連動している。

 第一は朝鮮半島の非核化問題である。6月27日に米政府は北朝鮮のテロ支援国指定解除と対敵取引法適用免除の手続きを開始したと発表したが、ブッシュ政権としては任期終了前に北朝鮮の核放棄を達成したいところであろう。しかし、洞爺湖サミットでブッシュ大統領が福田総理に述べたように、まずは北による核計画の申告が厳密に検証されることが前提となる。この第二段階の諸措置が完了すれば、核兵器の完全な放棄などの第三段階となる。もちろん、北の完全な核放棄が最大の目標ではあるが、2005年9月の六カ国合意は全体が一つのパッケージであり、拉致問題の解決なくして日朝国交正常化はありえず、合意全体の履行もありえない。今後数ヶ月間ですべてを達成することは難しく、結局はアメリカの次期政権待ちとなり、北による時間稼ぎが奏功しただけに終わる可能性が大である。

   第二はイランの核問題である。イランによるウラン濃縮活動があと1年も続けば核兵器保有も可能となることから、イスラエル国内ではこれを阻止するためには核施設への先制攻撃しかなく、そのタイミングはアメリカの大統領後継候補者が誰も頼りにできないので、ブッシュ政権の在任中以外にない、との論議が強まっている。さらに、米国を味方とするには大統領選挙の前と後でどちらが有利かも論議されているとのことで、イスラエルにはイラク、シリヤへの先制攻撃の「前歴」があるだけに、大いに心配すべき状況である。

 第三は民生用原子力協力に関する米印交渉である。2007年7月に米印間で合意された協力協定が米議会で承認されるためには、インドとIAEAの間で特別の保障措置協定を締結してIAEA理事会の承認をえる必要があり、さらにNSG(原子力供給国グループ)45カ国のコンセンサスによる例外化の承認が前提となっている。ところが、大詰めを迎えているIAEAとの交渉について、インドの左派諸党が「国民的討議なしに決着させるのであれば、連立与党から離脱する」として、政局は危機を迎えているようである。洞爺湖サミットでのブッシュ大統領とマンモハン・シン首相との会談では、交渉妥結への決意を確認し合ったとのことであるが、NSG年次総会はすでに5月にベルリンで開催済みであり、米議会も今年は大統領選挙で早めに夏休み入りをすることから、時間切れの様相が強まっている。

 二大政党制のアメリカでの4年ごと、或いは8年ごとの政権交代では行政府の上層部人事も大幅入れ替えとなり、政治の停滞と多大な時間とエネルギーの損失が避けられないのだが、その反面、時計の振子のように行き過ぎを是正し、立ち止まって見直しを行う貴重な機会でもある。少なくとも核軍縮政策に関してはそのような好機の訪れとなる。核軍縮はアメリカだけでなく国際社会全体の問題で、核兵器使用の可能性がかぎりなくゼロに近い世界の実現が大多数の人々の願いでもある。新しい決意のもとに各国の実務者、有識者など幅広い人々の叡智を結集して上記の諸問題の抜本的解決をめざす好機でもあろう。

2008.5.23
紛争予防と平和構築――世界平和への日本の貢献のあり方

紛争予防と平和構築――世界平和への日本の貢献のあり方

2008.5.23

以下は表記の題名で『世界平和研究』2008年春季号、通巻177号に掲載された私の小論です。

 今日における「世界平和」の意味は国家だけでなく人間の安全保障をも含む新しい概念へと変化してきています。そのような「世界平和」への日本としての、また日本人としての貢献はどのようなものであるべきでしょうか?x1

 答えの一つがアフリカにおける紛争の再発予防と平和の定着、構築への貢献を行動で示すことにあることは疑う余地がありません。本年がアフリカ開発会議(TICAD IV)が開催される年であることを一つの契機として、当センターもナイロビに在外代表事務所を開設してそのような活動に本格的に取り組むことになりました。

 この小論は以上のような事情をご理解いただく上で参考に資するものと存じます。なお、このホームページに転載することにつきましては事前に『世界平和研究』編集部のご了解をいただきました。

1.「戦争」でなく「紛争」の予防、再発予防、と平和構築
 私がジュネーブの国連軍縮会議代表部大使として赴任した1989年9月はベルリンの壁が崩壊し、冷戦時代が終了する直前であった。冷戦時代の軍縮の最重要課題は核軍縮と米ソ間の核戦争の回避であった。そして91年にソ連が崩壊すると、米ソ間の核戦争、あるいは大国間の戦争の可能性はほとんどなくなった。冷戦終了後は、91年の湾岸戦争などを別とすれば国家間の戦争はほとんど起きていない。SIPRI年鑑(ストックホルム国際平和研究所発行)の統計によると 90年ごろの武力衝突件数(年間死者数が1000人を越える紛争を武力衝突とする)は年間30件ほどであったが、98年には27件、そして06年には17件にまで減少した。この間、全体で57件の武力衝突が発生したことになるが、その中で国家間の戦争はわずか4件で、それ以外はみな国内紛争であった。軍縮大使であった私が「戦争」ではなく国内「紛争」の予防とか再発予防、そして国内紛争で使われる小型武器の軍縮問題にかかわりを持つようになったのはこのためであった。

 このような国内紛争に対して当初は国連が平和維持軍を世界各地に派遣するなどしてその解決を試みた。しかし、ゲリラ相手の国内紛争は非対称戦争であるので先進国から派遣される平和維持軍も不得手であり、次第に息切れするようになった。紛争が発生してからの対応では和平実現に多大な困難が伴い、復興にもお金がかかる。「予防は治療にまさる」ことから、紛争を未然に防ぐ「予防外交」(preventive diplomacy)に力を入れようとする機運が生じてきた。その結果、90年台を通じて予防外交は国連の場を中心に活発に議論されることとなった。

 言うまでもなく、このような予防外交論議のきっかけとなったのはブロトス・ガリ国連事務総長(当時)が92年に発表した『平和への課題』(Agenda for Peace)であった。この中で同事務総長は平和達成のために必要とされる予防外交、平和創造(peacemaking)、平和維持(peacekeeping)、平和構築(peace-building)の4種の活動のあるべき姿を提示した。しかし、「予防は治療にまさる」として90年代を通じて最も活発に議論されたのが予防外交であった。

 ところが、90年代の終わり頃からは、「予防外交」と言っても「戦争」よりも「紛争」の予防が中心であり、しかも政府の活動のみならず民間NGOの活躍の場も少なくないことから「紛争予防」(conflict prevention)と呼ぶのがより適切であるとしてこの用語が多く使われるようになった。さらに、2000年代に入ると、「紛争予防」といっても新たに起こる紛争の予防よりも「紛争再発予防」が中心であり、これは紛争終了後の「平和構築」と同じであることから「平和構築」との用語が一般的に使われるようになった。このように、使われる用語も年月の経過とともに3段階で変化してきた。

 以上のように、冷戦終了後のこの20年ほどはもっぱら国内紛争への対応の見地から紛争予防とか平和構築の問題が活発に論議されてきた。これは、伊藤憲一氏が『新・戦争論』(新潮新書)で指摘したように「戦争の時代」が終わり、「不戦の時代」あるいは「紛争の時代」が訪れたことを物語っている。そもそも戦争は1929年の不戦条約(ブリヤン・ケロッグ条約、注1)によって禁止されたのであるが、当時これを批准したのは十数カ国だけであった。その後、第二次世界大戦後には国連憲章で戦争禁止が明記された(国連憲章第2条第4項、注2)。唯一認められたのが「自衛のための戦争」であり(国連憲章第51条)、国連憲章制定後冷戦終了時までの戦争はすべて自衛の名目で戦われてきたことになる。

 ところが、冷戦後の世界は米国一極支配の構造となり、自衛の名目であっても米国と戦争をする相手国がいない「不戦の時代」となった。国家間の「戦争」はほとんど起こらなくなったが、政府対反政府ゲリラなどの非政府主体(Non-state actor)との「紛争」は依然として頻発するので、これをいかにして予防するか、あるいは再発を予防するか、そして平和を構築するかが今日の世界における「平和の課題」なのである。

2.小型武器管理が平和構築の出発点
 冷戦後の世界で多発する「紛争」では数多くの一般市民が犠牲になってきた。アンゴラ内戦(92-94年)やソマリア紛争(91-94年)ではそれぞれ約100万人が、ルワンダ内戦(94年)では約80万人が犠牲となった。主として小型武器を使用する紛争であり、小型武器こそが事実上の大量破壊兵器であることが認識された。そこで、紛争予防の見地からまず小型武器問題が取り上げられた。つまり、紛争予防と小型武器問題とは切り離して考えることができなかったのである。

 国連における小型武器問題の審議は96年以降私が議長をつとめた「国連小型武器政府議専門家パネル」および「小型武器政府専門家グループ」で4年間にわたり徹底的に行われ、二つの報告書にまとめられた。その成果をふまえて2001年には閣僚レベルの国連小型武器会議が開催され、「行動計画」が採択された。

 この「行動計画」では紛争終了地での小型武器対策の一つとしてDDRと呼ばれる取組が勧告されている。これは①武装解除(Disarmament)、②動員解除(Demobilization)、③元戦闘員の社会復帰(Reintegration of former combatants)の三つの頭文字を合わせたものである。政府側の兵士のみならずゲリラなど非政府組織の戦闘員からも武器を回収し、身分的にも軍の組織から離脱させて兵士でなくするプロセスであり、これが武装解除と動員解除である。そして、第三段階として、そのような元戦闘員を無一文で手に職もないまま放り出すと社会の不安定要因となるので、彼らの社会復帰を支援するのである。

 今日では「紛争予防」よりも「平和構築」との用語が多く使われるようになっており、DDRは「平和構築」活動の中でも中心的な活動とされているが、このように経緯的にみればDDRは小型武器問題への取組の中から生まれてきた用語である。

 しかし、真に紛争の再発を予防し、平和を構築するためにはDDRだけで十分というわけにはいかない。DDRの後に、その社会が自分たちの力で治安を守れるという治安制度の確立が必要になる。民主的な文民警察官の育成を含む治安制度改革(SSR、Security Sector Reform)である。武器が安全に管理され、住民が安心して生活できる社会、これが平和構築の出発点である。さらには刑法、刑事訴訟法、民主制度の整備などにより「よき統治体制」の確立を図る必要もある。暴力や武器はご免だとする「武器の文化」から「平和の文化」への意識改革も必要となる。このように、平和構築は新しい国づくりのようなものであるから、包括的アプローチと根気強い努力を要する作業となるのである。

3.「人間の安全保障」の視点の重要性
 以上のような小型武器、紛争予防、平和構築の問題と平行して90年代中頃から活発に論議されるようになったのが「人間の安全保障」の問題である。国家間の戦争の時代でなく国内「紛争」の時代となると、国家の安全保障もさることながら、紛争の被害者となる一般市民の、つまり国家ではなくて「人間」の安全保障が重視されるべきであるとの考え方である。

 国連開発計画(UNDP)の94年版『人間開発報告書』が最初に「人間の安全保障」の重要性を喚起したのは、それに先立つアンゴラ、ソマリア、ルワンダなどの紛争で被害の深刻さが問題となったからであろう。しかし、「人間の安全保障」を問題とする以上は、これが戦争や紛争の恐怖だけでなく、犯罪や自然災害も含むすべての恐怖からの自由、さらには欠乏からの自由なども含めた幅広い概念であることは当初から認識されていた。 ところが、90年代の後半になると「人間の安全保障」をこのように広く解釈するのか、それとも破綻国家での内乱の犠牲者などを国際社会は「保護する責任」があるとしてやや狭く解釈するのかをめぐって先進諸国と途上国の間で見解の対立が生じた。特に、幅広い市民団体の後押しで97年のオタワ対人地雷禁止条約締結に成功したカナダのアックスワージ外務・貿易相などはコソボのアルバニア系住民の人権保護などを念頭にG8サミットで「紛争予防と人間の安全保障」の問題を提起するなどした。しかし、内政不干渉の原則を重視するアジア、アフリカの多くの諸国がこのような解釈に強く反撥した。

 こうした中で、2001年はじめにわが国のイニシアティブにより緒方貞子JICA理事長とケンブリッジ大学教授(当時、後にハーバード大学教授)のアマルディア・セン氏を共同議長とする「人間の安全保障委員会」が設立され、2003年夏に報告書を国連事務総長に提出した。この報告書は「人間の安全保障」を「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」とする広義の解釈を採用した(注3)。これは要するに、国連事務総長の表現を借りれば、恐怖からの自由、欠乏からの自由、尊厳されて生きる自由の三つの自由を含む概念であった(注4)。そして、同年発表されたわが国のODA大綱でも基本方針の一つとしてこのような「人間の安全保障の視点」の重要性が強調され、その上で、四つの重点課題の一つとして「平和構築」が掲げられるにいたった。

 その後、2005年に開催された国連創立60周年サミットの成果文書の中でもこの広い定義が採用されると同時に、結論が持ち越されてきた「保護する責任」については、すべての人が人間の安全保障への権利、つまり「保護される権利」があるとの前提の上で、「保護する責任」は第一義的には国家の責任であり、国家がこの責任を果たせない場合には安保理の決議を経て国際社会がこれを果すとされたのである。もちろん、安保理には拒否権の問題があるが、一応は前進であったと考えてよいであろう。

 実際問題として、「保護する責任」の問題は紛争とか人権侵害が起っている段階での問題であって、紛争終了後の紛争再発予防とか平和構築の段階の問題ではない。しかし、紛争の再発予防、平和定着、平和構築を考える段階においても、国家の安全保障の視点だけではなく、人間の安全保障の視点でものごとを考える必要があることは言うまでもない。要するに、「人間の安全保障」の問題は平和構築のための個別、具体的な政策論というよりも、何を重視すべきかの視点の問題なのである。以前とちがって、今日の世界で平和を考えるに際しては人間の安全保障を中心に考える必要があるということに他ならない。

4.平和構築要員(Peace-builders)育成の必要性
 最初に述べたように冷戦後頻発する「紛争」の件数は最近では減少する傾向にあり、特にアフリカでの件数は、SIPRI年鑑によれば98、99年の11件から05、06年には3件にまで減少している。アフリカ地域で紛争の再発予防、平和構築に力を入れる必要性はそれだけ増大していることになる。

 そこで、紛争終了地において紛争の再発を予防し、平和を構築するには何が必要とされるかをもう少し具体的に考えてみよう。停戦や和平が合意された後は、先ずはそのような合意が遵守されることを監視し、確保するために平和維持軍が派遣される。平和維持軍はさらに兵士や元戦闘員の武器解除や動員解除を実施することになる。これが前に述べたDDRの最初の二つのDの実施である。その後、一定の準備段階を経て総選挙が実施され、民意を代表する政権が樹立された時点で平和維持活動(Peacekeeping)は無事終了し、平和維持軍が撤収するのが通例のパターンである。そして、選挙監視活動も含めてDDRの三番目のR、すなわち元戦闘員の社会復帰などの仕事は文民を主体とする平和構築活動(Peace-building)に引き継がれるものと理解されてきた。

 しかし、このような平和維持活動から平和構築活動への移行が必ずしも順調にいくとはかぎらなかった。前者を主として担当する軍関係者と後者を主として担当する文民やNGO関係者の間の連携が十分でなく、「軍民協力」の改善が望まれる事例がみられた。また、平和維持軍が撤退した後で犯罪が増えるなどして治安が悪化するのを防止するために治安制度改革(SSR)が急がれるのは当然であるが、東チモールの例が示すように、なかなか満足とはいかない事例もみられた。

 「人間の安全保障」を重視する平和の構築である以上は、たとえ時間をかけてでも平和維持活動から平和構築活動への移行は切れ目のない(seamless)一つのプロセスとして行われることが不可欠であろう。さらに、人々が安心して生活できる治安体制を確立するには刑法、刑事訴訟法を含む大幅な法整備を必要とし、よき統治体制の整備も必要となる。このように考えると、軍民協力をはじめとして、DDR、SSR、法整備支援、民主化支援、復興支援などの様々な分野の専門家で構成される多人数の平和構築要員が長い期間にわたり現場に展開することが不可欠となるのである。

 現に、最近では国連の平和維持活動(PKO)要員の数が飛躍的に増大しているだけでなく、アフリカ連合(AU)などの地域機関の国際平和活動に必要とされる要員の数も増大してきている。このため、G8先進諸国はアフリカ連合(AU)の平和維持活動能力向上のための支援とか、アフリカ待機軍(African Stand-by Force)の創設に向けての要員の教育、訓練に力を入れてきている。もっとも、わが国の場合は紛争終了地域におけるDDRなどの小型武器対策、コミュニティ開発などのいわゆる「平和構築支援」には力を入れてきたが、アフリカ各地のPKO(平和維持活動)センターなどでの平和維持活動要員の教育、訓練は軍事的支援につながりかねないとの懸念からこれを自制してきた。

 しかし、すでに説明したように、平和構築要員(Peace-builders)ということであれば、軍事的任務よりも平和を築くための任務が中心であり、それには軍民協力、DDR、文民警察の育成も含むSSR、各種の国内法整備、民主化支援、復興支援などの幅広い任務が含まれる。そのための要員には軍人だけでなく文民も多く含まれることになる。そのような平和構築要員の人材育成をわが国が支援できないとする理由は乏しいと言わざるをえない。たとえば、わが国の外務省が昨年度に広島大学に委託して実施した「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」では、わが国およびアジア諸国からのそれぞれ十数名の文民研修生を対象として人材育成事業が行なわれたのである。そして、私どもの日本紛争予防センターも再委託先団体としてこの事業を部分的にお手伝いしたのである。

 このようなことから、また、本年はわが国が7月の洞爺湖G8サミットに先立ち5月には横浜でアフリカ開発会議(TICADⅣ)を主催することもあり、1月24日には高村外務大臣が都内で開催された外務省主催の公開シンポジウム「平和を築(つく)る――日本と国連」での講演において、次いで1月26日には福田総理がスイスのダボス会議における講演において、今後はわが国としてもアフリカ各地のPKOセンターへの支援を行うとの新方針を打ち出されたのである。

5.日本の貢献と「積極的平和主義」
 わが国が世界の平和にどのように貢献するべきかの問題はサンフランシスコ平和条約締結以来長年にわたり大いに議論されてきたところである。概して言えば、冷戦時代終了の頃まではわが国は平和憲法のもとで軍隊は持たない、戦争もしない、それに非核三原則、武器輸出三原則など、「何々しない」といった「消極的平和主義」に徹してきたということができる。しかし、これが「平和タダ乗り」論であり「平和ボケ」であるなどとして批判され、また、2001年の湾岸戦争でわが国が行なった130億ドルの資金的協力も「血も汗も流さない小切手外交」であるとして批判されたことは記憶に新しい。

 こうしたことの反省から、92年にはいわゆる「PKO協力法」が制定されるなどして徐々に方向転換がはかられてきた。最近ではインド洋での洋上燃料補給とかイラクでの空輸活動などに自衛隊が協力できるようにするために時限立法の特別措置法などで対処してきたのであるが、今や「紛争」の終了後の平和構築活動への協力が求められる時代となったのであるから、自衛隊の海外派遣に関しては憲法解釈を明確にするなどした上で、恒久法を制定するべき時期が到来しているように思われる。

 民間レベルでも呼応する動きがみられてきた。たとえば、1999年から私が座長となって取りまとめた総合研究開発機構(NIRA)の研究プロジェクトの報告書(2001年)は「積極的平和を目指して」と題され、わが国は「何々しない」でなく、紛争予防とか平和構築の分野で「何々する」との積極的平和主義を打ち出すべきである旨を提言した。また、これに先立ち、1999年には私どもの日本紛争予防センターが設立されたが、これも紛争予防、平和構築のために「民間分野における貢献を強化する」との目的からするものであった。

 このように紛争予防、平和構築分野での活動に民間レベルでも貢献しようとする動きに関しては、実は、わが国よりも欧米諸国の方が先輩であった。International Alert, Safer World, Search for Common Groundなどのこの分野に特化したNGOが設立され、Oxfamなどの以前から存在した人権NGOもこの分野での活動に関心を示すようになったのは、1989年の冷戦終了前後からのことであった。

 10年ほど遅れてのことではあったが、わが国でそのような動きの先頭を切ったのが日本紛争予防センターである。当センターの会長は明石康元国連事務次長であるが、同氏がカンボジアや旧ユーゴスラビアでの国連の平和構築活動で大きな役割を果してきたことは周知のとおりである。また、理事の一人である東京外国語大学院の伊勢崎賢次教授は東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで国連あるいは日本大使館の責任者としてDDR活動を推進した実績を有する。事務局長の瀬谷ルミ子氏もシエラレオネ、アフガニスタン、コートジボワールなどで国連あるいは日本大使館の職員としてDDR活動を担当してきた。理事長の私自身も数年にわたり国連の小型武器政府専門家グループ議長をつとめた経験を有している。

 加えて、当センターは設立以来7年にわたり毎年夏に紛争予防市民大学院セミナー講座を開催して人材育成を行ってきた実績がある。さらに、昨2007年5月には瀬谷事務局長がガーナのコフィ・アナン平和維持訓練センターに委託されて同センターでのDDR研修を企画、実施した。そのようなこともあり、日本政府が本年1月に発表したアフリカのPKOセンターへの支援策を策定するに際しては当センターも現地調査その他の方法で協力するよう依頼されたのであり、これは大層喜ばしく、光栄なことであった。

 すでに述べたように、今日の世界では平和と言えば国家間の平和だけでなく人間の安全も保障される平和であることが求められている。そのためには武器は国防や治安に必要最小限のものが安全に管理され、人びとが恐怖や欠乏からの自由と尊厳の中で生きる自由を保障されることが求められている。このような平和の構築が緊急の課題となっているのがアフリカなどの「紛争」で大きな被害を蒙った地域であることは言うまでもない。そして、そのような紛争終了地において平和構築活動に生き甲斐を感ずる要員たちによる根気強い努力が必要とされているのであり、そのような要員への需要はきわめて高いのである。

 言うまでもなく、このような平和構築活動への貢献は自衛隊の海外派遣による軍事的貢献というよりは平和的な手段による貢献が中心であり、わが国が得意とする分野であると言ってよい。また、平和構築要員の人材育成事業も「平和の創り手を創る」仕事であり、多くの日本人をそのような要員として育て、多くの現地人を平和構築要員として育てるのに役立つのである。

 換言すれば、「平和に貢献しない日本」との汚名を返上するに適した時代が訪れてきたのである。世界第二の経済力を誇るわが国としては、このような新しい時代の要請に応えて、わが国の国力にふさわしい貢献を行うことに力を注ぐべきであろう。
(2008年3月28日)
注1 不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)
 第一次世界大戦後1928年に締結され、翌年発効した多国間条約で、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した。米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、日本などの列強諸国をはじめとする15カ国が署名した。その第1条は次のように規定していた。
【第1条】(戦争放棄)
締約国ハ,国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。
注2 国際連合憲章 第2条〔原則〕
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
・・・・・・・・・
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
・・・・・・・・・
注3 『安全保障の今日的課題――人間の安全保障委員会報告書』11頁。朝日新聞社発行、2003年。

注4 In Larger Freedom, Section IV: Freedom to Live in Dignity, pp.127-152, United Nations General Assembly, A/59/2005,21 March 2005.

2008.3.17
米大統領選挙と核軍縮

米大統領選挙と核軍縮

2008.3.17

以下は日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に3月6日に掲載された私の投稿記事です。

 昨年1月5日、キッシンジャー、ナン、ペリー、シュルツ4氏はウォール・ストリート・ジャーナル紙上で米国は核兵器全廃に向けての大胆なイニシアティブをとるべしと論じて世界を驚かせた。米国では核軍縮推進論はいわば民主党の専売特許であり、ブッシュ現政権は前政権が署名したCTBT(包括的核実験禁止条約)の批准を拒否するなど核軍縮に後ろ向きの姿勢を示してきた。ところが共和党の国務長官経験者であるキッシンジャー、シュルツ両氏が民主党のナン、ペリー両氏と連名で核兵器廃絶を訴えたからである。

 この提案へのブッシュ政権の反応を米政府関係者に確かめたところ米国は2001年の核政策レビュー以来核兵器への依存を減らす政策をすでに採用しており、新しい核兵器の開発も行っていないと答えたことは以前(昨年9月7日)この欄でも紹介した。確かに米国の核兵器削減は進んでおり、昨年12月の発表では2012年までに核兵器保有数を2004年の半分にするとの目標は予定よりも5年も早く達成され、さらに15%削減するので、2012年までには冷戦終了時の25%以下になるとのことである。

 しかし、このような最近の趨勢はブッシュ政権の発意によるというよりも、共和党が上院で過半数を失った結果の政権移行期現象であるようにも思われる。たとえば、昨年暮れに米議会で成立した2008年度国防関連予算によれば新規核弾頭関連の予算はほぼ全面的に削られた反面、大統領は6ヶ月以内に核兵器用物質の安全を世界的に確保する計画を上院に提出すべしとするオバマ上院議員などによる修正提案は必要な予算とともに承認されたからである(Arms Control Today昨年11月号、本年1月号など参照)。

 このような状況の中で、本年1月15日にキッシンジャー、ナン、ペリー、シュルツ4氏は再びウォール・ストリート・ジャーナル紙上で核兵器廃絶を訴えた。1年前の提言を再確認する内容の論説であるが、掲げられた8項目ほどの当面の具体策は1年前のそれと多くは重複するものの同一とはいいがたい。それでもCTBT批准の必要性を再度強調していることが注目に値する。米政府がいかに核兵器への依存を減らす方針であると説明しても核実験の可能性を残す必要があるのでCTBTの批准はできないということでは説得力に乏しく、インド、パキスタン等の諸国からも足元を見られてしまうからである。

 CTBTは今年に入ってからマレーシア、コロンビアが批准したことにより発効要件国44国のうち未批准国の数はついに一桁台の9国にまで減少した。米国も批准することになればインド、パキスタンなどの他の未批准国への圧力は絶大なものとなるであろう。もちろん、米国の上院が以前の議決を覆して3分の2以上の多数の賛成により条約を批准するのは決して容易なことはでないが、キッシンジャー、シュルツ両氏が賛成となった以上は一部の共和党上院議員が賛成にまわる可能性も出てきたということであろう。

 そうは言っても、米国の政権交代による核軍縮の進展に過度の期待を抱くのは禁物である。ヘンリー・スティムソン・センターのブライアン・フィンレー氏が1月下旬の論文「ゼロの限界」で論じたようにクリントン前政権の核軍縮政策は数々の障害や抵抗により屈辱的な挫折を余儀なくされたが、同様な失敗が繰り返されない保証はないからである。

2008.2.1
アフリカと向き合う

アフリカと向き合う

2008.2.1

私も出席させてもらったが、去る1月24日に都内で開催された外務省主催の公開シンポジウム『平和を築(つく)る―日本と国連』において高村外務大臣が『平和の創り手「日本」』と題して総括講演をされた。その中で本年は我が国にとって5月に第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)、7月にG8サミットを開催する節目の年であるので「日本は平和を創る国である、平和構築とは、日本にとって一つの国是であるという、それくらいの覚悟を定める年にしたい」と述べられた。さらに、日本はこれまでPKOを担うセンターが相手の場合でも、軍の絡むものには直接支援をしてこなかったが、「このたび初めてやり方を工夫し、アフリカ各地のPKOセンターへの日本の支援が回るように致しました」とも述べられた。

 続いて、1月26日には福田総理もスイスのダボス会議での特別講演の中で「開発を可能にするには、平和であることが大前提です。平和構築は、私が進める『平和協力国家』日本の一つの柱です。・・・新たに、アフリカ自身の平和維持能力向上を目的としたアフリカ各地のPKOセンターへの協力も行っていきます。自分の平和は自分の手で。そして日本はそんなアフリカを応援する。それこそが『自立と共生』の実践です。私は、このTICAD IVの成果を北海道洞爺湖サミットでG8の首脳と共有し、さらには、秋の国連総会において、これら2つの会議の結果を議長として報告して、世界と共有したいと考えています」と述べられた。

 言うまでもなく、アフリカにおける平和定着、平和構築は我が国が3年ごとに開催してきたアフリカ開発会議TICADの三つの柱の一つ(他の二つの柱は経済成長を通じた貧困削減と人間中心の開発)であるから、本年5月に横浜で開催のTICAD Ⅳを控えて高村外相と福田総理が以上のような決意を表明されたことは誠に時宜を得たことであった。具体的な支援や協力の方法が決まるのはこれからのことで、政府主体の支援が中心であろうが、平和定着、平和構築の分野での協力である以上は民間レベルで貢献できる余地も少なくないと思われる。

 たとえば、アフリカ各地のPKOセンターの強化ということであれば我が国の民間団体が能力向上の面で協力することなどが考えられるであろう。また、手前味噌で恐縮だが、私が社団法人アフリカ協会の機関誌「アフリカ」の最新号(本年第1号)のインタビュー記事の中でも述べたように、私どもの日本紛争予防センター(JCCP)はアフリカのPKOセンターでの教育、訓練の実績を有しているので、そのような活動の一層の拡充が求められることとなろう。したがって、本年はJCCPとしても、高村大臣が言われる通り「覚悟を定める年」となりそうである。JCCPの瀬谷事務局長が昨年夏に続いて本年1月にもケニヤなどに出張してきたのはこのような状況を踏まえてのことであった。

 以上に加えて、昨年外務省が広島大学に委託して開始した平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業も長い目でみればアフリカにおける平和定着、平和構築に貢献する事業である。高村外務大臣は上記の総括演説の中で「パイロット事業」というと「暫定事業」の如くであるが、早晩これは本格的な教育事業にしなくてはならないとの趣旨のことを述べておられた。幸い、JCCPはこのパイロット事業でも部分的な再委託先として広島大学のお手伝いをしているので、こちらの方の取組みも本格化させる必要があるように思われる。

2007.11.16
必読の教養書『新・戦争論』

必読の教養書『新・戦争論』

2007.11.16

以下は財団法人日本国際フォーラムの伊藤憲一理事長の近著『新・戦争論』についての私の書評で、同フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に11月1日に掲載されたものです。

 伊藤憲一氏の新著『新・戦争論』(新潮新書)は、堅苦しい題名にもかかわらず、国際問題に多少とも関心のあるすべての人のための一般教養書である。人類の起源以来の雄大な歴史を回顧し、この1万年ほどは社会現象としての戦争が絶えない「戦争の時代」であったが、核兵器の登場と冷戦期を経ていまや国際社会は「不戦の時代」に突入しつつあると論じている。軍備管理・軍縮の問題に長らくかかわってきた私にとっては、学ぶところが多く、違和感の少ない専門書であるが、一般の人にも分かりやすく、説得力のある筆致で書かれた手頃な解説書といったところである。

 「不戦の時代」に突入といっても、「東アジアは、欧州とは異なり、まだ冷戦の最中にある」として日本を取り巻く情勢を日清、日露戦争時代への「先祖返り」とするような考え方に対しては、核抑止力体制下で軍事力以外の方法による戦いをつづけているとの意味ではまさに「冷戦の最中」にあるが、時代の変化を理解しない非歴史的思考、非戦略的思考であると断じており、小気味よいほどに明快である。「不戦の時代」をむかえて日本の選択はどのようなものであるべきか?わが国は世界不戦共同体に米国の同盟国として協力しつつも、それが「アメリカ帝国」的色彩でなく「世界政府」的色彩を強めるよう努力するべきであるとする、本書の提言に異存のある日本人は少ないであろう。

 加えて、「積極的平和主義」も提言されている。「あれもしない、これもしない」といった「消極的平和主義」は戦争時代の思考法にとらわれた偽物の平和主義であり、国連の平和維持活動などのために「あれもする、これもする」との積極的平和主義こそが不戦共同体の一員としての日本の選択であるべきだとしている。7年ほど前に総合研究開発機構(NIRA)が「戦争の時代から紛争の時代へ」などとして、「積極的平和主義を目指して」と題する研究報告を発表したことがある。その後、国連に平和構築委員会が設置され、わが国の防衛庁も防衛省に改組された。このような最近の時代の流れからみても、積極的平和主義がわが国の進むべき道であることは間違いないであろう。

 本書は戦争が違法化された不戦時代にあっても平和を脅かす者(アクター)として、第一に「ならず者国家群」、第二にいわゆる破綻国家において大量虐殺などを行う「非国家アクター群」、第三に「国際テロリスト」の3グループがあるとした上で、とくに第二のグループに対処するために、わが国は「人間の安全保障」「紛争予防」「平和構築」などの活動に積極的に参加すべきであると提言している。言うまでもなく、ここでは「戦争」ではなく非国家主体を主たるアクターとする「紛争」が対象となる。「戦争時代」には周辺的な課題であった「紛争」への対処が、「不戦時代」には安全保障上の中心的な課題となり、当初は「予防外交」と呼ばれ、次いで「紛争(再発)予防」と呼ばれ、現在では「平和構築」とも呼ばれている諸活動の重要性を指摘している。わが国の積極的貢献が望まれるのである。

 『新・戦争論』の「新」という一字には著者の伊藤氏の万感の思いが込められているとのことであるが、それを理解するためにも本書を一読することをお奨めしたい。

2007.9.20
第12回通常総会を終えて
(活気を取り戻したJCCP)

第12回通常総会を終えて
(活気を取り戻したJCCP)

2007.9.20

 去る8月21日に当センターの第12回総会が開催されて昨年度(2006年度)の事業報告書、収支決算書が審議され、承認されました。昨年度はそれに先立つ2005年の在スリランカ代表事務所における資金管理問題の後始末に追われ、当センターの運営体質にも問題があったことが明らかとなり、団体としての存続自体が危ぶまれた年でした。そして、去年8月の第10回総会で明石康会長が「当センターは苦しい中でも存続の道を選び、本来の姿に立ち戻り、再出発を目指すことになりました」と挨拶して、運営体制の大幅スリム化・合理化、役員人事の刷新、定款の改定などの決定が行われたのでした。

 ゼロからの再出発に等しい厳しい道のりでしたが、当センターが縮小された規模ながらも本来の事業活動を再開できるようになったのは昨年暮れ頃のことでした。そして、本年4月から瀬谷ルミ子新事務局長に迎えることができたのは誠に喜ばしいことでした。何故なら、センターの運営を大所高所から掌理するのは理事長の私を含め役員たちの任務ですが、日常の業務を統括し、処理するのは事務局長であり、本格的な事業活動のためには能力もあり意欲もある事務局長を必要としていたからです。

 幸いなことに、瀬谷事務局長を迎えてからの当センターの活動は一段と活発化し、本格的な展開をみせています。今回の総会は昨年度の、すなわち本年3月末で終わった事業年度の事業報告などをご承認頂くためのものでしたが、本年4月以降の活動状況につき会員の皆様方に報告させて頂く最初の機会でもありました。その第12回総会の席で次のような一連の朗報をご報告することができたのは誠に喜ばしいことでした。

 (1)5月には4週間にわたり瀬谷事務局長がガーナに出張してコフィ・アナン国際平和維持訓練センターで行われたDDR(武装解除、動員解除、社会復帰)研修事業の企画者兼講師をつとめてきました。カナダのピアソン平和維持センターの委託によるものでしたが、海外でのこの種の研修事業の実施はわが国のNGOとしては初めてのことであり、当センターの本来の設立趣旨にも沿ったものでした。(6月8日付けのこの掲示板でも紹介済み。)

 (2)7月9日には在カンボジア日本大使館において外務省のNGO支援無償資金(約2千万円)によるコンポントム州サンダン県での小学校建設事業に関する契約書の調印式があり、これにも瀬谷事務局長が出席し、署名してきました。ポルポト派の拠点であった僻地における学校建設事業であり平和構築に資するものです。また、当センターの山田奈津美職員がこの事業のプロジェクト・コーディネーターとして現地の田中剛代表を補佐するために赴任しました。

 (3)7月30日には当センターの戸引理職員がスリランカのセワランカ財団からの申し出により平和構築・コミュニィティー復興の専門家として同財団本部事務所に赴任しました。当センターの在スリランカ代表事務所は地雷除去事業の終了にともない昨年7月末以来職員不在の状態となっていましたが、これを機会に、現地でのニーズを見極めた上での事業活動再開の可能性を検討することになりました。

 (4)8月9日には広島大学が外務省の委託によりこのほど開始した平和構築分野での人材育成を目的とするいわゆる「寺子屋」事業の再委託先としての契約を同大学との間で締結しました。わが国およびアジア諸国からの応募者の中から選ばれた30名ほどの研修生を対象に平和構築分野での最高レベルの研修を広島および海外の現場で受けさせるためのパイロット・プロジェクトですが、当センターもその持てる知見を活かして、部分的にではありますが、お手伝いすることになりました。

 以上のようにこの1年ほどの間に当センターは見違えるほどに元気を回復し、本来あるべき姿を取り戻してきたと思います。それが可能となったのは、申すまでもなく、会員をはじめ多くの皆さま方の暖かいご理解とご支援があったからであります。たとえば、現在の事務所への移転に際して好意的に取り計らってくださった明石書店の石井昭男社長、昨年年末に景気付けのために座談会を開催してくださった紛争予防市民大学院第2期生の4人の方々、賛助会費、支持会費、寄付金などの拠出により力強い支援の手を差し延べてくださった団体や個人の方々、それに外務省をはじめ官民の助成団体など、数えあげればきりがありませんが、多くの皆さま方から賜りました暖かいご理解とご支援に厚く御礼申し上げますとともに、今後ともご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

2007.9.10
核軍縮へ高まる期待

核軍縮へ高まる期待

2007.9.10

日本紛争予防センターの活動と「核軍縮」とは何の関係があるのかと思われる方もおられるだろうが、以前に「予防外交入門」でも論じたとおり、軍備管理・軍縮も予防外交、紛争予防の重要な手段の一つです。迂遠な話のようですが、核兵器が廃絶されれば核兵器を使う戦争や紛争は予防できるからです。以下は財団法人日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」に9月7日付けで掲載された私の投稿記事です。

 「先月末に札幌で開催された国連軍縮会議に出席する機会に恵まれた、本年5月のウィーンでの2010年NPT運用検討会議第1回準備委員会が議題の採択、建設的な実質討議などで成功裏にスタートを切ったことから、核軍縮への高まる期待が示された会議となった。この準備委員会を議長として成功に導いた天野ウィーン国際機関日本政府代表部大使の外交努力は各方面から高く評価されているが、同大使は決裂を回避できたのは綱渡りのようなものであったとして、過度の楽観論をいましめていた。

 高まる期待感のもう一つの根拠となったのは本年1月にシュルツ、ペリー、キッシンジャー、ナン4氏がウォール・ストリート・ジャーナルの紙上で行ったアメリカは核兵器廃絶のために大胆な、新しいビジョンを示せとの呼びかけであった。札幌会議には国務省のフォード核不拡散特別代表も出席してアメリカの核の傘はこれを必要としている同盟国もあり、核不拡散にも役立っているとの趣旨の演説を行ったが、上記の4氏の呼びかけへの米政府の立場についての質問には、同代表が3月にアヌシーでのセミナーで配布した論文をよく読んで欲しいと答えていた。同論文はNPT条約が掲げる核兵器廃絶義務に米政府はコミットしており、それが実現可能となる国際環境の整備が先決であるとしながらも、米政府は2001年の核戦略レビューの結果核兵器への依存度を減らす方針をすでに採用しており、他の核兵器諸国もこれを見習って欲しいとする内容のものである。

 相手国の戦力破壊(カウンター・フォ−ス)が目的であればトマホークなどの精密誘導兵器が登場してきた結果、核弾頭を用いなくても通常兵器で目的は十分に達せられ、一般民間の被害も少なくて済むとの議論は1994年1月にワシントン・ポストでポ−ル・ニッツェ氏が提起して以来核兵器不要論の有力な根拠となっている。核兵器の唯一の「とりえ」は大都市などに対する大量破壊(カウンター・バリュー)能力なのである。

 筆者からはフォード代表に対してアメリカの核の傘を必要とする同盟国もあるから核抑止力は必要とのことであるが、同盟国が必要としているのは核兵器などの大量破壊兵器による脅威に対抗する「抑止力の傘」であり、効果的に機能するのであれば何も「核抑止力」である必要はなく「通常兵器抑止力」であっても差し支えない筈であると指摘したところ、そのような議論が深まることを期待しているとのことであった。

 また、フォード代表は最近ではアメリカはRRW(核弾頭を信頼性のある弾頭で置き換えるプログラム)と称して新規の小型核兵器の開発、配備を進めているのではないかとする風評があるようだが、RRWはあくまでも既存の核弾頭の取替えであり新規の小型核兵器の開発、配備は一切ないと強調していた。これは、最近では地中貫通型小型核兵器などの開発予算が米議会で認められていないことからみても、その通りであろう。

 もちろん、核軍縮の前途はカット・オフ条約締結交渉の開始、CTBT条約の早期発効など、多難に満ちた道のりであることに変わりはないのであるが、上に述べたように少なくともアメリカは核兵器への依存度を減らす方針であることが明確になってきている。核兵器のない世界へ向けての確かな手がかりであり、歓迎すべきことである。

2007.6.7
ガーナにおけるDDR研修、その他近況ご報告

ガーナにおけるDDR研修、その他近況ご報告

2007.6.7

新年度に入って2ヶ月余りが経過しました。近日中に開催予定の理事会、総会に先立ち会員や支持者の方々に当センターの近況をお伝えしたく思います。

 4月に就任したばかりの瀬谷ルミ子事務局長は5月一杯はガーナに出張し、当センターがピアソン平和維持センター及びコフィ・アナン国際平和維持訓練センターと協力して開催したDDR(武装解除、動員解除、社会復帰)研修事業の企画担当者兼講師としての仕事を終えて元気に帰ってきました。国連の平和維持活動が最も必要とされているアフリカにおいて国連PKO関係者などにDDR分野での実務処理能力を高めてもらうことの重要性はいまさら強調するまでもありません。海外でのこの種の研修事業の実施はわが国のNGOとしては始めてのものでしたが、紛争予防及び平和構築分野での人材育成に民間レベルでも貢献しようとの当センターの本来の設立趣旨に沿ったものあり、今後とも国内、国外でこの種の活動には力を入れていく方針です。

 笹川平和財団の助成を受けて一昨年の暮れに開設した紛争予防人材ネットHCCPにつきましては、これを当センターの市民大学院卒業生ネットと組み合わせるなどして、登録者の相互啓発、知識共有の場としても役立つよう心がけております。昨年暮れからは人材ネット関係者による勉強会を定期的に開催していますが、4月には小川和久理事(軍事アナリスト)を講師として「平和構築と日本の国家戦略」につきお話しいただき、5月と6月には東チモールの選挙とその後の情勢について造詣の深い広島大学の上杉勇司准教授と法政大学の長谷川祐広教授のお二人に講師となっていただきました。

 しかし、言うまでもなく、人材ネットは登録された方々のキャリア形成のための職場紹介、斡旋に役立つべきものです。幸い、この分野での知識、経験に富む瀬谷事務局長を迎えたのを機に、その観点から今後はこの人材ネットの内容的充実、機能強化にも一層の努力をしていきたく思います。その関連で、人材ネットでもご案内しておりましたスリランカでのインターン希望者の受け入れが当センターの提携団体であるセワランカ財団との間で具体化しつつあることをご報告させていただきます。

 なお、当センターは会費や寄付金の確保による財政基盤の強化と新規助成事業の獲得による事業活動の拡大の面でも地道な努力を重ねております。味の素株式会社様からは本年1〜3月のワンクリック募金による30万円のご寄付を頂きましたし、本年度からは新規に北海道建設会館様が賛助会員としてご入会下さいました。賛助会員ではありませんが、富士ゼロックス株式会社様からも本年度分として30万円のご寄付を頂きました。さらに、3名の方々が新規に支持会員としてご入会下さいました。各位の暖かいご理解とご支援に厚く御礼申し上げます。そして、事業活動の拡大面では、カンボジアにおける識字教育事業に今井記念海外協力基金から、また、小学校建設事業に外務省のNGO支援無償によるご助成を頂けることとなりました。

 ホームページでもご紹介しておりますが、以上をご報告させていただきます。

2007.4.2
事務局長に瀬谷ルミ子さんを迎えて

事務局長に瀬谷ルミ子さんを迎えて

2007.4.2

陽春の4月は新入生、新入社員の季節であり、若々しい活力に溢れる新生の季節ですが、当センターも事務局長に瀬谷ルミ子さんを迎えて新しくスタートしました。

 振り返ってみれば、過ぎ去った一年は当センターにとっては再出発に向けての苦難と試練に満ちた年でした。しかし、会員および支持者の皆さま方の暖かいご理解とご支援のもとに、新しい役員体制、運営体制を整え、「紛争予防、平和構築のために民間分野における日本の貢献を強化する」との当センターの本来の趣旨に沿った活動を再開するべく準備を進めてまいりました。昨年8月にはそのための総会を開催し、10月には事務所を移転し、暮れの12月からは当センター人材ネット関係者による勉強会も開始しましたことは、このホームページなどでもご覧いただけるとおりです。

 本年に入り、去る2月28日の理事会および3月19日の総会では、「市民社会論」の著作などでも知られ、当センターの恩人でもある入山映氏の新理事就任を含め、第四期(本年4月から2年間)の役員名簿が承認されました。また、規模はスリム化したものの、当センター本来の趣旨に沿った事業計画案、収支予算案も承認されたところです。そして、これらの理事会、総会でも私から報告しましたとおり、この4月から瀬谷ルミ子さんをこの半年ほど空席であった事務局長に迎えることとなりました。

 瀬谷さんは当センター市民大学院講座の2期生(2000年夏)であり、私は同講座の講師の一人でしたから当時からよく存じていましたが、これまでにNGO、外務省、国連などでの勤務を通じて紛争地でのDDR(武装解除、動員解除、社会復帰)の現場で豊富な経験を積んできた方です。また、その間、実務だけでなく、ブラッドフォード大学、広島大学で研究活動を行うなどして、多くの論文なども発表してきました。

 このように若くしてエキスパートである瀬谷さんを当センターの事務局長として迎えることができるのを、理事長の私としては大層嬉しく思っております。瀬谷事務局長は当センターが掲げる理念と目標に向かってその活動内容を一段と充実させていく上で大きな力となってくれるものと確信しております。つきましては、会員および支持者の皆さま方の当センターに対する一層のご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げる次第です。

2007.3.26
小型武器管理と平和構築に関する私の英文スピーチ・テキスト

小型武器管理と平和構築に関する私の英文スピーチ・テキスト

2007.3.26

去る3月12、13日に外務省において開催された「小型武器東京ワークショップ」において有識者の一人として出席した私が行った「小型武器管理と平和構築」と題する英文スピーチのテキストを関心のある方々のご参考までに以下に紹介します。

 なお、このワークショップには関係国政府や国際機関関係者だけでなく内外のNGO関係者、有識者も参加しました。私のスピーチは3月13日の「今後の行動」と題する第Vセッションで行われたものです。

Tokyo Workshop on SALW March 12~13, 2007 Session V

Small Arms Control and Peace Building

Presentation by Mitsuro Donowaki President, The Japan Center for Conflict Prevention

(Origin of DDR)

Ten years ago, the United Nations Panel of Governmental Experts on Small Arms submitted its report, the first of its kind on small arms and light weapons (SALW), to the General Assembly (1). I had the honor to serve as the chairman of the Panel. Two of the recommendations contained in the report, both related to demand factors of SALW issues, deserve particular attention today in considering future actions on these issues.

One was the recommendation that the United Nations should prepare guidelines to assist peace negotiators to include in peace agreements plans for disarmament, weapons collection and weapons disposal, and also to assist peacekeeping missions to implement such plans (2). Another was the recommendation that the United Nations should promote the so-called “proportional and integrated approach to security and development” (3). The first recommendation was based on the findings of several case studies according to which the absence of clear terms for disarmament, weapons collection and disposal in peace agreements and in the mandates of peacekeeping missions led to continued proliferation of SALW in post-conflict regions. Also important was the reintegration of ex-combatants into society, as was stressed in the Panel’s report (4).

In response to this recommendation, the UN Special Committee for Peacekeeping Operations that met in April 1998 decided to ask the Department for Peacekeeping Operations (DPKO) to work out such guidelines, and a document entitled “Disarmament, Demobilization and Reintegration of Ex-combatants in a Peacekeeping Environment” was produced in July 1999 (5). In the same month, in July 1999, the Security Council adopted its Presidential Statement (6) requesting the Secretary-General to prepare within six months a report on disarmament, demobilization and reintegration of ex-combatants. In this way the term “DDR” made its first appearance in UN documents.

Six months later, the Secretary-General’s report “The Role of United Nations Peacekeeping in DDR” was submitted to the Security Council in February 2000 (7). Also, starting from the UN Mission in Sierra Leone (UNAMSIL) of October 1999 it has become an established practice for peacekeeping missions to include in their mandates specific references to DDR.

What I wanted to emphasize is the fact that the term DDR, now commonly used in relation to peace-building activities, had its origin in the Panel’s report on small arms. DDR was an attempt to put together peacekeeping activities (DD) and peace-building activities (R) as one continuous process. As is well known, peacekeeping activities are normally carried out by military peacekeepers. After peacekeepers finish their task, peace-builders who are civilians in most cases come in and begin their activities. Time lag and lack of coordination between the two activities could create problems. Therefore, there was a need to bring them closer together.

The Brahimi report of August 2000 (8) advanced this concept even further by saying in effect that D and D cannot be completed unless R is achieved. They are parts of one and same process. The establishment of the UN Peacebuilding Commission in December 2005 marked a significant step forward in this sense because DDR is now regarded as one component of peace-building activities. As a result, under the name of peace-building activities longer span of time may be allowed for the DDR process to be more fully carried out. What has been going on in Timor L’Este, for example, may serve us as a good lesson. Premature withdrawal of peacekeeping forces while peace-building activities are going on will have to be avoided as much as possible. Closer coordination and cooperation between those engaged in peacekeeping activities and those engaged in peace-building activities may have to be worked out.

(Integrated approach for peace building)

The second recommendation of the Panel on the so-called “proportional and integrated approach to security and development”, like the first recommendation on DDR, was also related to the reduction of SALW in post-conflict regions. According to the findings of the UN Advisory Missions sent to Mali and other states in West Africa in 1994 and 1995, people in post-conflict regions did not wish to turn in their weapons unless internal security was established.The second recommendation of the Panel on the so-called “proportional and integrated approach to security and development”, like the first recommendation on DDR, was also related to the reduction of SALW in post-conflict regions. According to the findings of the UN Advisory Missions sent to Mali and other states in West Africa in 1994 and 1995, people in post-conflict regions did not wish to turn in their weapons unless internal security was established.The second recommendation of the Panel on the so-called “proportional and integrated approach to security and development”, like the first recommendation on DDR, was also related to the reduction of SALW in post-conflict regions. According to the findings of the UN Advisory Missions sent to Mali and other states in West Africa in 1994 and 1995, people in post-conflict regions did not wish to turn in their weapons unless internal security was established.The second recommendation of the Panel on the so-called “proportional and integrated approach to security and development”, like the first recommendation on DDR, was also related to the reduction of SALW in post-conflict regions. According to the findings of the UN Advisory Missions sent to Mali and other states in West Africa in 1994 and 1995, people in post-conflict regions did not wish to turn in their weapons unless internal security was established.

In order to establish internal security, a strong police will be needed. You wish to get rid of weapons, but you need weapons for this purpose --- this was the problem. In such cases, what you need first is a good police, instead of a bad police who might intimidate people and suppress their basic human rights. One has to start by training police officers so that they learn their job is to protect people from criminal acts. All the illegal weapons should be confiscated, while all the police firearms should be securely kept under control. The rule of law should be put in place. Democracy and good governance should be promoted. Living standard should be improved. This was the reason why the so-called “proportional and integrated approach to security and development” was recommended in the Panel’s report, and “security” here meant human security instead of the security of states. For the members of the Panel who were disarmament specialists this was the first experience to deal with the question of internal security, human security and other related issues such as security sector reform (SSR), good governance and development needs.

This new approach recommended by the Panel was endorsed by most of the major donor countries, including the European Union, and also at the International Conference on Sustainable Disarmament for Sustainable Development held in Brussels in October 1998 (9). At about the same time, extensive discussions were already going on in the UNDP, the OECD, the World Bank and other development assistance communities on the relationship between human security and peace building. As a result, the importance of an integrated approach for peace building in post-conflict regions came to be widely recognized, and the UN Peacebuilding Commission came to be established in December 2005.

It may be recalled that the World Summit Outcome Document of 2005 establishing the Peacebuilding Commission (10) retained the paragraph referring to the 2001 Programme of Action on Small Arms (11), while it failed to retain most other paragraphs related to disarmament issues. This means that with the establishment of the Peacebuilding Commission the international community made a renewed commitment to fully implement the Programme of Action as an integral part of peace-building activities.

As is well known, the proliferation of SALW continues to pose serious problems in most of the post-conflict regions where the UN peacekeeping operations were already finished. It is precisely in such regions today that peace-building activities have to be carried out, and a consolidated approach that incorporates DDR, SSR, good governance, development assistance and so forth is needed. This is the reason why Japan has been promoting JSAC’s (12) activities in Cambodia, and why the UNDP, the World Bank and other international organizations and civil society organizations have been making efforts to help African states in implementing the Programme of Action. Looking to the future, we will have to redouble such efforts.

(Supply-side factors)

I am aware that in my presentation I mostly talked about the demand-side factor of SALW issues with due respect to the main theme of this Tokyo Workshop. However, in considering future actions related to SALW issues, I should not fail to mention that there are a number of measures contained in the Programme of Action that can be taken mostly by the supply-side states. They are the measures to prevent, combat and eradicate the illicit trade of SALW, as the title of the Programme of Action says. As a matter of fact, these measures will be also helpful to the affected regions because illegal inflow of such weapons ought to be effectively reduced and eliminated at the source and before they reach their final destinations.

One concrete achievement already made in this regard was the adoption in 2005 of the International Instrument to Enable States to Identify in a Timely and Reliable Manner, Illicit Small Arms and Light Weapons. Another was the establishment of the group of governmental experts to consider further steps to enhance international cooperation in preventing, combating and eradicating illicit brokering in SALW, that will submit its report to the General Assembly later this year. The third was the adoption of the General Assembly resolution (13) in December last year to establish a group of governmental experts next year to examine the feasibility, scope and so forth of a comprehensive, legally binding instrument establishing common standards for the import, export and transfer of conventional arms.

As is the case with demand factor issues, the supply-side control of SALW is neither easy nor simple, because SALW are needed by all states for defense and security purposes, and also because transfer control is becoming harder in this age of globalization. However, it should be recalled that by adopting the Programme of Action at the 2001 Conference all states made a commitment to undertake a set of measures covering both demand-side issues and supply-side issues. Therefore, let me conclude my presentation by reiterating that in considering future actions, all the issues covered by the Programme of Action ought to be kept in our minds.

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1 Report of the Panel of Governmental Experts on Small Arms, 1997. A/52/298.

2 Ibid. A/52/298, paragraphs 49 and 79(d).

3 Ibid. A/52/298, paragraphs 42 and 79(a).

4 Ibid. A/52/298, paragraph 43.

5 Report of the Group of Governmental Experts on Small Arms, 1999. A/54/258, paragraph 68. 6 S/PRST/1999/21.

7 The Role of United Nations Peacekeeping in Disarmament, Demobilization and Reintegration,11 February 2000, S/2000/101.

2007.3.2
オーエン・グリーン教授講演会について

オーエン・グリーン教授講演会について

2007.3.2

下記ご案内状のとおり、当センターは外務省との共催で3月14日(水)午後UNハウスにおいてブラッドフォード大学オーエン・グリーン教授による小型武器問題に関する公開講演会を開催いたします。

 アフリカなどの紛争修了地における平和構築とか平和定着の必要性が叫ばれるようになったのはこの数年来のことですが、氾濫する小型武器の規制がその中心課題であると言っても過言ではありません。2001年に国連小型武器会議が採択した「行動計画」の重要性は国連が平和構築委員会の設立を決めた2005年の世界首脳サミット成果文書の中でも強調されているほどです。

 小型武器問題はわが国の主導のもとに国連が90年代中頃から取り組んできた問題ですが、オーエン・グリーン教授は私が議長をつとめた国連小型武器政府専門家会合のコンサルタントとして報告書作成を手伝うなど、この分野では豊富な経験をお持ちです。

2007.1.22
日本紛争予防センター近況ご報告

日本紛争予防センター近況ご報告

2007.1.22

昨年10月20日に当センターの事務所移転その他についてご報告して以来3ヶ月ほどが経過しましたが、下記のとおり近況を報告させていただきます。

 1.人材ネット関係者のための勉強会の開始

 当センターが昨年度の事業として立ち上げました紛争予防人材ネットHCCP(Human Capital for Conflict Prevention)を充実させながら運用していく必要があり、これに登録された方々を中心とする勉強会を月一回程度のペースで開催することとしました。第1回目は12月12日に開催され、私から「武器管理と平和構築」について報告いたしました。第2回目は1月17日に開催され、伊勢崎賢治理事(東京外国語大学院教授)から「日本の平和貢献、アフガンから考察する」として報告いたしました。その模様はこのホームページでさらに詳しく紹介しておりますのでご覧いただければと存じます。

 なお、この勉強会に参加を希望される方々は紛争予防人材ネットHCCPに登録していただけば毎回ご案内を差し上げます

 2.座談会記録のホームページへの掲載

 当センターの紛争予防市民大学院講座の第2期生(2000年8月の受講生)で紛争予防、平和維持分野の第一線で活躍中の上杉さん、久保さん、世古さん、瀬谷さんの4人による座談会を暮れの12月20日に開催しました。アフリカの国連PKO活動の現場などからみた紛争予防、平和構築活動の現状、課題などについて、あるいは日本が果たすべき国際貢献について示唆に富む有益な討議が行われましたので、その内容をこのホームページで紹介いたします。3回に分けて週一回のペースで紹介することとし、第1回分はすで掲載されました。

 3.カンボジアにおける武器回収、農村開発事業の報告会

 当センターの本年最初の行事は1月9日の東京、広尾のJICA地球ひろばで行われた田中剛在カンボジア代表による武器回収、農村開発事業についての報告会でした。これがJICA地球広場にとっても本年最初のイベントとなりました。この事業は当センターのカンボジア在外代表事務所が「草の根パートナー型委託事業」として2004年8月から2006年5月にかけて成功裡に実施したもので、JICAに提出した実施完了報告書もこのホームページから閲覧できるようにいたしました。

 4.財政基盤強化の必要性

 以上のように当センターの活動も徐々に軌道にのり、本格化しつつあります。助成団体への事業助成の申請も行っております。また、当センターとしましては来年度においては紛争予防市民大学院講座を自主事業として実施することも企画中です。

 他方、会費・寄付金収入などによる当センターの財政基盤の強化のための一層の努力が必要とされることは申すまでもありません。この1年ほどの間に当センターのためにご寄付を下さり、あるいは新しく会員となって下さった方々を含め、会員及びその他の皆さま方の心強いご理解とご支援に深く感謝申し上げますとともに、今後とも引き続きご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


2006.12.18
武器管理と平和構築

武器管理と平和構築

2006.12.18

以下は去る12日に当センターの人材ネット関係者による勉強会で私が行った報告です。

 1.DDRの由来(小型武器問題への取り組みが出発点)

 冷戦後頻発する地域・国内紛争への取り組みが重視される中で1993年にブトロス・ガリ国連事務総長の「平和への課題」が発表された。国連の取り組みには紛争の段階に応じて予防外交、平和創造、平和維持、平和構築があるとして、意欲的な提言を含む報告書であった。平和維持は紛争終了後の活動であるが、これを平和強制の目的で活用する提案もなされ、ソマリアにおけるUNOSOMⅡでこれが試みられた。しかし、93年10月の米兵死傷事件で挫折し、伝統的平和維持活動への回帰を余儀なくされた。

その後、95年の同事務総長の「平和への課題、その追補」では伝統的平和維持活動に加え、予防外交、平和構築を重視する方針が打ち出された。この「追補」の中で始めて小型武器問題が提起された。地域・国内紛争で主として使われるのは小型武器であり、予防外交、平和構築の観点からもその規制は必要であった。

 この問題提起に応えて95年にわが国が提出した総会決議により設置された政府専門家パネルが97年夏に具体的な提言を含む報告書(A/52/298)を発表した。特に注目された提言は次の二つであった。

 (1)紛争終了に際しては和平協定の中で戦闘員の武装解除や武器の回収、処分などが明記されるべきであり、国連平和維持活動のマンデートの中でもこれが明記されるべきであるので、国連はそのためのガイドラインを作成すべしとの提言。

 (2)紛争終了地域で氾濫している小型武器を削減しようとする場合には国連や援助供与諸国は「治安と開発のための均衡のとれた包括的なアプローチ(a proportional and integrated approach to security and development)」を採用すべきであるとの提言。

 上記の(1)は当時UNIDIR(ジュネーブの国連軍縮研究所)が手がけていた「紛争終了時の軍縮」と題する一連の研究シリーズなどで和平協定やPKOのマンデートに武器回収、武装解除などが明記されていなかったために選挙終了をもって任務終了とされ、小型武器が回収されずに残され、紛争の再発を招くケースが少なくないとの指摘を行ったのを受けての提言であった。これがDDRの考え方の原点となった。

 この提言を具体化するためにわが国は98年春の国連PKO特別委員会において国連事務総長にガイドラインを作成することを要請する決議を成立させようと試みた。結局、国連PKO局が作成中の報告書の中でこれに相当する作業を行うことで妥協が成立した。この作業が進められている間、98年11月にわが国が中心となってとりまとめた小型武器に関する安保理決議S/RES.1209の中(前文パラ10、主文パラ14)でもこの(1)の提言の重要性が強調された。

 このPKO局作成のガイドラインが99年7月の”Disarmament, Demobilization and Reintegration of Ex-combatants in a Peacekeeping Environment”と題する文書であった。DDRのRは武装解除、動員解除に加えて元戦闘員の社会復帰という復興開発の要素を取り入れた考え方であった。元戦闘員の社会復帰が保障されないかぎり犯罪の増加、治安悪化、紛争再発の危険性が残るからであり、平和維持活動と平和構築活動は切れ目の無いプロセスであるとの考え方を反映したものであった。

 折から、7月の安保理議長国であったマレーシアが小型武器問題、それもDDRを中心とする安保理公開討論を主催し、議長声明S/PRST/1999/21 を発表した。その中で国連事務総長が6ヶ月以内に安保理にDDRに関する報告書を提出するよう求めた。これを受けて事務総長は2000年2月に「国連のDDRにおける役割」と題する報告書S/2000/101を安保理に提出した。

 このようにしてDDRは国連の平和維持活動と平和構築活動を結びつける概念として大きな比重を占めるようになり、頻繁に引用される用語としても定着するに至った。99年10月の国連シエラレオーネ・ミッション(UNAMSIL)以降はPKOマンデートの中でのDDRへの言及が恒例化するようになった。

 2.平和構築のための包括的なアプローチ

 ところで、上記(2)の「治安と開発のための均衡のとれた包括的アプローチ」も上記(1)と同じく紛争終了地などにおける小型武器の削減のための提言であったが、小型武器問題の特殊性を浮き彫りにした内容のものであった。政府専門家パネルはこの提言を行うに際して国連が94年と95年にマリのコナーレ大統領の要請に応えて同国と周辺諸国に派遣したミッションの報告を重視した。これは治安が確立されていない地域で民衆から武器を回収するのは困難であり、先ずは治安制度確立(Security First Approach, Security Sector Reform)から始めるべしとする報告であった。

 実際問題として、治安制度確立のためには警察の装備近代化といった小型武器回収とは矛盾する支援を必要としている。しかし、民衆を弾圧するような独裁政権の治安能力を支援するわけにはいかないので、民衆を犯罪から守るための警察などの「よき統治」の実現が先決であり、このための民主化支援、法整備支援、さらには民生向上のための開発支援などの「包括的アプローチ」が必要とされるのである。このような「国づくり」を視野に入れた発想はこれまで国家間の戦争や紛争しか扱ってこなかった軍縮関係者にとっては全く新しいものであった。従来は内政問題と考えられてきた個々人の安全や人権の問題を「人間の安全保障」の視点から導入するアプローチであった。

 このように、「治安と開発のための均衡のとれた包括的アプローチ」は最初は国連のUNDPによりマリなどの西アフリカで採用され、これがパネル報告書の提言の一つとなったのであった。そして、98年10月にブラッセルでOECD/DACが主催した「持続的開発のための持続的軍縮」で採択された「行動への呼びかけ」とか、同年12月にEU委員会が採択した小型武器に関する「共同行動」の中でも引用され、エンドースされるに至ったのである。

 しかし、ほぼ時期を同じくして、UNDP、OECD、世銀などで開発専門家たちによる紛争後の復興開発、すなわち平和構築と人間の安全保障に関する論議が深まるにつれて、当初は小型武器対策として用いられた「治安と開発のための均衡のとれた包括的アプローチ」との表現に代わり「平和構築のための包括的アプローチ」との表現が次第に一般化するに至った。それでも、その背景には上記のような小型武器問題への取り組みがあったことは言うまでもない。

 3.武器管理は平和構築の主要な柱の一つ

 DDRを含めた平和構築の重要性は2000年8月のブラヒミ報告でも強調されたが、その後、国連の抜本的改革問題との関連で作成された2004年暮れのハイレベル委員会の報告、これを受けた2005年3月のアナン事務総長報告の中でさらに議論が深められ、2005年9月の世界首脳サミットの成果文書により平和構築委員会の設立への運びとなったことは周知のとおりである。

 今後の平和構築委員会の活動とも関連するが、DDRに関しては、当初はDD(武装解除と動員解除)が平和維持活動に属するものであり、R(社会復帰)はその後の開発援助とも結びつく平和構築活動であるとして時系列的に整理して考える傾向があったことは事実である。ところが、実際には、上記2でも述べたように小型武器問題への取り組みは長期にわたる包括的アプローチを必要とする平和構築の主要な柱の一つであることが認識されるようになった。  「平和構築」はその名が示すとおり戦争と平和に関する用語であり、国家間の戦争、紛争だけが問題とされた時代であれば軍備管理・軍縮と同義語と解することができたであろう。ところが、地域・国内の紛争と人間の安全保障を視野に入れる必要がある今日の世界では、そのような紛争地や紛争終了地の人々の安全や人権をも視野に入れた、小型武器対策を含む「平和構築」を必要としているので、「平和」とは国家間の国際的な平和だけでなく、紛争地や紛争終了地での国内の平和、換言すれば治安維持のためにも必要な小型武器が安全に管理され、警察国家のような恐怖が支配する平和でなく個々人の安全と人権も保障されるような平和、をも包含する広い概念として認識されるようになってきたのである。

 4.武器管理の現状、その1

 繰り返しとなるが、DDRに関しては、最初の二つのDDが平和維持活動に属することは明らかであるが、三番目のRだけを切り離して平和構築活動と考えるよりは、DDR全体を不可分なプロセスとして平和構築活動の主要な柱の一つとして考えるべきであろう。その理由は、小型武器は各国が治安のために必要とする特殊な武器であり、これを全面禁止することはできず、治安当局がこのような武器を国民の安全を守るためにしっかりと管理する体制を確立する必要があるからである。それには民主化、法整備などの「よき統治」と「国づくり」のための長期にわたる包括的アプローチが必要であり、小型武器管理そのものを平和構築活動の重要な構成部分と考えるほかはないからである。これは、例えば和平協定の中で対立する諸勢力の武装解除、武器回収などが明記されていたカンボジアの例からも明らかである。和平成立後10年以上経ってもわが国やEUによる小型武器回収、小型武器規制のための法令整備、警察制度への支援努力が続けられてきたからである。また、紛争が修了した多くのアフリカ諸国においても国際援助機関だけでなく国際NGOや地元のNGOが小型武器の回収・管理、子供兵を含む元兵士の社会復帰などの分野での平和構築努力を精力的に支援しているのが現状である。  言うまでもなく、武器管理と平和構築の問題は紛争地や紛争終了地の諸国の国内問題であるばかりでなく、国際レベルでの取り組みをも必要とする問題でもある。上記の97年の国連小型武器政府専門家パネル報告書の提出の後、フォローアップのための政府専門家グループが98年から99年にかけて設置され、同グル−プの提言により2001年には国連小型武器会議が開催されて「小型武器行動計画」が採択された。この「行動計画」によれば各国は国内法令を整備するなどして非合法に小型武器が出回るのを厳格に規制することを求められており、紛争終了地などにおいてはDDRを推進するなどして過剰に出回っている小型武器の回収、廃棄に向けて努力することが求められている。このような国際的な「行動計画」の採択と実施は、国際レベルでの平和構築努力と呼ぶべきものである。

 さらには、この「行動計画」に基づき2005年には小型武器に一丁ごとに刻印を付し、非合法に取引されてもその流通経路を追跡できるようにするための国際文書が採択された。2007年には小型武器の仲介取引(ブローカリング)の規制を検討する政府専門家グループの報告書が提出される予定である。加えて、本年の国連総会でわが国や英国の提案で採択された決議により小型武器に限らず通常兵器全般の輸出入を規制するATT(武器貿易条約)の締結の可能性を検討するための政府専門家会合が2008年に開催されることとなった(12月6日、賛成153、反対1、棄権24)。

 このような武器の供給ルートを規制しようとする努力は、それなしには紛争地や紛争修了地への武器の流入は続き、復興開発などの平和構築が妨げられるからである。ATT条約締結構想は小型武器だけでなく武器取引全般を対象とするものであるが、コスタリカのアリアス元大統領が小型武器問題解決のために提案した条約案が基礎となっている。したがって、ATT条約締結の試みも平和構築活動の一環としての武器管理の試みであると理解してよいであろう。

 その意味では、9.11事件後のテロとの戦いで重視されるようになった大量破壊兵器、ミサイル及びその関連物資の拡散阻止のためのPSI(拡散に対する安全保障構想)も国際レベルでの平和構築活動と理解されるべきであろう。テロリストなどの非政府団体にこれらの物資が渡るのを阻止するのが狙いであるが、紛争地や紛争修了地の破綻国家での無政府状態、無法状態がテロリスト活動の温床となるのを防ぎ、平和を構築していくためにはこれらの物質が流れ込むのを供給ルートにおいて阻止する必要があるからである。2003年のPSI発足当時の参加国は日、米等11国に過ぎなかったが、参加国数が1周年目には60国、2周年目には100国以上に達したことが注目に値しよう。

 2001年に採択された「国連小型武器行動計画」をはじめとする以上の一連の武器規制、武器管理の試みは国際レベルでの平和構築活動にほかならないが、その殆どは法的拘束力のない国連決議などにより実施されており、実際に成果がどれだけ上がっているのかが見極め難い面があることは事実である。しかし、このような地道な努力の蓄積が長い目でみれば国際世論の大きな潮流となり、国際規範を形成していく可能性を過小評価してはならないであろう。

 私は2002年7月にマニラで開催された小型武器に関するセミナーに出席した際にフィリピン国家警察が主催した小型武器破壊式典に参列する機会があった。その席でマニラ市の警視総監が私に「これまでは小型武器を一般市民が保有するのは当然と考えられていたが、そうではないことを一般市民に知ってもらうために警察が率先してこのような式典を行う時代となったことに感慨無量なものがある」と述懐していた。忘れることのできない言葉であった。

 5.武器管理の現状、その2(アフガニスタンにおけるDDR)

 なお、平和構築と兵器管理に関するやや特殊なケースとして、アフガニスタンにおけるDDRでのわが国の貢献が特筆に値するであろう。すでに述べたようにDDRは国連の平和維持活動の一環として和平合意のあった地域での小型武器管理のための活動である。ところが、アフガニスタンにおいてはそのような和平合意は存在せず、国連のPKO軍の展開も行われなかった。9.11事件後の米英軍と北部同盟による軍事活動でタリバン政権が崩壊した後、2001年12月のボン合意で北部同盟などの勝者側各派が新しい中央政府、大統領、議会などを設立すること、そのために新国軍を創設するなどの治安部門改革 (Security-Sector Reform)を行うことを約束したのであった。この新しい国づくりの努力を支援するためのアフガニスタン復興支援国際会議が2002年1月に東京で開催され、同年4月のG8会合で治安部門改革の5分野の一つとしてDDRを日本とUNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)が主導することとなったのであった。

 アフガニスタンにおけるDDRは当初から勝者側の軍閥の兵器、兵員のみを対象とし、そのような軍閥の解体を通じて中央政府の権限を確立することを想定していた。しかし、軍閥解体を実施するのは国連のような中立的な機関ではなく国防省がこれを担当することになっていた。ところが、国防省ではファヒム国防大臣をはじめ北部同盟の特にパンジシール派が主要ポストを独占していたので、先ずは国防省の中立化から着手する必要があった。国防省の中立化は紆余曲折を経て2003年9月に実現するに至った。また、武装解除といっても旧軍閥の権力の象徴である重火器の新国軍への引渡しが最優先課題とされ、重火器集積HWP (Heavy Weapons Cantonment)が行われたが、小型武器の回収などは殆ど眼中になかったという点でも、一般に考えられているDDRとはかなり性格の異なるものであった。

 わが国は2003年2月には東京「平和定着(DDR)」会議を開催して国防省のもとでDDRを実施する機関として新たにANBP(アフガニスタン新生計画 Afghanistan New Beginning Program)を設置し、わが国からの3500万ドルを含む5000万ドルの資金によりDDRを支援することなどを決定した。その上で、軍閥解体に協力するのでなければこのDDR資金は拠出できないなどとして旧軍閥などの抵抗勢力に圧力を加えたのであった。また、新米的なカルザイ大統領を後押しする米国などの諸外国からの圧力も効き目があった。さらには、2004年に行われる大統領選挙には軍閥解体に反対するものは立候補できないとしたことも効果があったとされている。このように、アフガニスタンにおけるDDRは高度に政治なプロセスとして開始され、紆余曲折を経ながらも一定の成果をおさめることができたのである。

 DDRのうちDD部分は2005年6月までに終了し、Rの部分の終了はさらに1年後とされたのであるが、ANBPの発表によればDDにより旧軍閥の兵士6万人余りが武装解除、動員解除され、回収された小型武器は3万6千丁余、重火器は1万1千余とのことである。別の推計によれば重火器集積計画HWCにより集積されたのは約5000両の戦車、火砲などのうち3分の2ほどであったとのことである。

 アフガニスタンにおけるDDRは以上のように高度に政治的なプロセスであったが、これが軍閥の解体と中央政権の基盤確立といった平和構築のプロセスとして一応の成功をおさめることができたのは、DDRの主導国日本を代表して陣頭指揮に当たり、現地語にも達者な駒野大使の並々ならぬ努力と、これを東ティモールやシエラレオーネでのDDRの経験を踏まえて強力に補佐した伊勢崎賢治氏の強固な意志に負うところが大であったことは言うまでもない。

 もちろん、これですべての問題が解決したわけではなく、旧軍閥の兵員や兵器の少なくとも2、3割程度は解体されずに温存されているとのことであり、DDRの対象とされなかったタリバンなどの非合法武力勢力の解体DIAG(Disbandment of Illegal Armed Groups)も今後の課題である。さらには、残された小型武器の回収、管理の問題もある。したがって、将来を予測することは困難であるが、それでも、アフガニスタンにおいてわが国の主導で行われたDDRのこれまでの成果は平和構築における武器管理の重要性を如実に示すものであったと言うことができるであろう。

2006.10.20
事務所移転及び近況のお知らせ

事務所移転及び近況のお知らせ

2006.10.20

謹啓

 秋冷の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 当センターは去る8月24日の第10回通常総会での諸決定を踏まえ、簡素化、合理化した運営体制のもとで本来の設立趣旨に沿った活動を行うべく努力を続けていますが、その一環として本月末には事務所を移転することになりましたので、これを含め、下記のとおり近況をご報告させていただきます。

1.事務所移転について
 当センター事務所はこれまで森ビル株式会社のご好意により六本木ヒルズの近くのフェリア・ビル4階に間借りさせて頂いておりましたが、本年10月26日以降は明石書店の石井照男社長の格別なお取り計らいにより同書店の湯島ビルの2、3階を使用させて頂くことになりました。新事務所の住所、電話番号、FAX番号は次のとおりです。(Eメール、URLは従来どおりです。)

 住所:   〒113−0034 東京都文京区湯島2−14−11

 電話番号: 03−3834−2651

 FAX番号:03−3834−2652

2.スリランカ法務副大臣を迎えての講演会
 別途ニューズレター、ホームページ等でご案内しますが、10月28日(土)午後3時から5時まで在京スリランカ大使館と共催でスリランカのディラン・ペレーラ法務副大臣の「平和イニシアティブとスポーツ」と題する講演会を広尾のJICA地球ひろばにて開催しますので、ご都合がつく方々のご参加をお願い申し上げます。

3.ホームページの改定作業
 新体制のもとでの当センターの再出発の姿勢をアッピールするにはホームページhttp://www.jccp.gr.jpも新しくする必要があり、現在でもご覧頂けるとおりこれまでに蓄積されたデータはなるべく保存した上でのリニューアル作業を行っているところです。完成までには若干時間がかかりますので、その間ご不便をおかけしますが、ご容赦願います

 敬具

2006.9.7
第10回通常総会についての報告

第10回通常総会についての報告

2006.9.7

去る8月24日に開催された当センターの第10回通常総会には正会員60名のうち44名が出席されました(本人または代理人出席11名、書面表決による出席21名、委任状による出席12名)。賛助会員13社のうちご出席は11社でした。

 冒頭の挨拶で明石会長は次のように述べました。

 「当センターはわが国では唯一の予防外交、紛争(再発)予防、平和構築などに特化した団体として知られてきましたし、海外での初めての日本人による地雷除去活動だけでなく、国内での紛争予防市民大学院セミナー・コースの開催などの人材育成分野でも実績を高く評価されてきました。したがって、苦しい中でも存続の道を選び、本来の姿に立ち戻り、再起を期して欲しいとする声があることも事実です。

 去る8月3日の理事会でもこの問題は真剣に議論されました。結論的には、本部体制および海外事業体制を大幅にスリム化、合理化した上で、当センターがその本来の設立趣旨に沿って紛争予防分野での民間レベルでの貢献を推進する団体として立ち直り、再出発することを目指すことになりました。」

 (この8月24日の総会で承認された当センターのこれからの運営体制、運営方針の概要は以下のとおりです。


1. 定款の変更

 総会で運営体制を簡素化、合理化するための定款の変更が承認されました。主な変更は次のとおりです。

① 副会長、所長などは置かなくてもよいこととし、所長の権限も縮小する。(小さな組織にしては「頭でっかち」でした。また、理事長と所長の抗争も繰り返されました。)

② 監事は2名から1名に削減する。

③ 賛助会員制度は維持するが、名目化していた賛助委員会は廃止する。(長らくオムロンの立石信夫相談役に賛助委員長をつとめていただきましたが、本年2月に辞任されました。)

④ すでに取崩されて存在しない「特別基金」も廃止する。(総会に提出の同基金管理報告書で報告しましたように、誠に残念なことに同基金は1年以上も前に取崩され、費消されて特別基金としての機能を失っていました。)

2. 役員体制の刷新

 総会で新理事2名、新監事1名が選任されました。昨年はじめの段階では理事総数は12名でしたが、その後阿曽村邦昭理事、石井一二理事、浜田卓二郎理事、伊藤憲一理事、小笠原敏晶理事が辞任されました。また、山本浩理事が逝去されました。新理事としては3月の通常総会で選任された折田正樹理事に続き、今回の総会で柴田秀孝理事、塚本俊也理事が選任され、理事総数は9名となります。監事も市川伊三夫監事、宮本けいし監事が辞任され、後任として植村高雄新監事が選任されました。

 なお、新理事のうち柴田秀孝様はセゾン・グループの人材派遣会社ヒューマンプラス社の常務取締役で、塚本俊哉様はハビタット・フォー・ヒューマニティー・ジャパンの事務局長です。新監事の植村高雄様はキュール・カリタス・カウンセリング学会会長です。

 したがって、役員体制は次のとおり刷新されました。

昨年4月1日時点         本年8月現在

会長  明石 康         会長  明石 康

理事長 石井 一二       理事長 堂之脇 光朗

理事  阿曽村 邦昭      理事  伊勢崎 賢治

理事  伊勢崎 賢治      理事  井上 美悠紀

理事  伊藤 憲一        理事  小川 和久

理事  井上 美悠紀      理事  折田 正樹

理事  小笠原 敏晶      理事  柴田 秀孝

理事  小川 和久        理事  杉下 恒夫

理事  堂之脇 光朗      理事  塚本 俊也

理事  杉下 恒夫

理事  浜田 卓二郎

理事  山本 浩

監事  市川 伊三夫      監事  植村 高雄

監事  宮本 けいし


3. 運営方針

 スリランカ寄付金問題を防止できなかった従来の運営体質を是正するため、以下を運営方針とすることを総会に報告し、了承されました。

① 海外においては今後寄付金を受け取らない。

② 資産管理面では透明性、説明責任の徹底化をはかる。

③ 本部による在外代表事務所の指揮、監督体制および支援体制の明確化をはかる。

④ 本部においては会費収入、寄付金収入などによる自己資金獲得のために一層の努力を行う。


4. 当面の事業活動方針

 総会に以下を報告し、了承されました。

 スリランカ寄付金問題への反省から、当分の間外務省への事業助成申請を自粛することとし、ジャパン・プラットフォーム(JPF)からも自主的に退会しました。このため、残念ながら、当センターが誇りにしてきたスリランカ及びアフガニスタンでの地雷除去事業からはすでに撤退しました。したがって、在外代表事務所は当面はカンボジアを残すだけで、海外事業体制は大幅にスリム化されました。

 本部体制も大幅にスリム化し、職員数削減などにより経費節約に努めてまいります。

 明年以降は助成事業への申請を再開する方針ですが、確保し得る自己資金に見合った規模の事業活動を目指します。差し当たりは当センター本来の任務である紛争予防、平和構築分野などでの人材育成、知識普及、調査研究などに力を入れる方針です。また、カンボジアを中心に海外事業活動も徐々に充実させていく方針です。

2006.4.1
平成18年3月27日の第9回通常総会での理事長の決意表明

平成18年3月27日の第9回通常総会での理事長の決意表明

2006.4.1

当センターの在スリランカ代表事務所は昨年初頭以来スリランカにおける津波災害緊急支援活動を成功裏に実施してきましたが、その際に現地関係者から寄せられた寄付金の集め方や使い方が適正なものであったかどうかについて本年2月に私が理事長に就任して以来解明につとめてまいりましたので、その結果を発表いたします。

 この問題は昨年夏に当時の石井理事長が健康上の理由で休職に入った直後、その休職期間中理事長職務をボランテイアで代行した理事によって最初に提起され、調査の必要が指摘されながら、秋に石井理事長が復職して以来対応が遅れていたものです。本年2月に私が理事長に就任するとともに、もはや放置することのできない問題として実情把握につとめてまいりました。

 当時の現地責任者(本年1月に退職)等の説明によれば、当時の在スリランカ代表事務所が現地での活動を維持、継続するためには現地の業者などから申し出のあった自発的な善意の寄付を拒否する選択肢がなかったのは事実であるが、そのような寄付を現地での物資調達契約などの条件としたことはなく、またすべての寄付は緊急支援などの当センターの現地活動のために使用され、かつ正規帳簿にも記載するなど厳正に管理されてきたとのことでした。

 当センターは、その後独自に内部調査を行ってまいりましたが、当時の現地責任者等の以上の説明に主観的には偽りはないものの、甚だ遺憾なことに、当センターの現地活動のために一部の公的資金の不適切な使い方がなされた事例も存在することが判明しましたので、その点につき深く反省いたしております。

 このようなことは二度と繰り返されてはならず、そのためには当センターのすべての資金の運用、管理において今後はいっそうの十分な透明性を確保し、説明責任を果たしていく覚悟であり、運営体制の改革も推し進めていく覚悟であります。当然のことながら、今後は善意の寄付であっても現地においてはこれを一切受け取らない、とする方針であります。また、当センター本部の在外代表事務所に対する監督、管理体制が十分でなかったことも問題の一因であったので、これも直ちに是正する覚悟であります。

 以上