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 特定非営利活動法人 日本紛争予防センター

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第22回(2010年3月9日)「ネパールの民主化と和平プロセスの行方」
 ラム・チャンドラ・ポーデル氏(ネパール・コングレス党副総裁)

第22回 「ネパールの民主化と和平プロセスの行方」

講師:ラム・チャンドラ・ポーデル氏 (ネパール・コングレス党副総裁)
日時:2010年3月9日(火)19:00—20:45
会場:東京外国語大学本郷サテライト 3階セミナールーム
参加人数:26名


ポーデル氏講演要旨(ネパール語から日本語への逐次通訳のサマリー)

ネパール民主化運動の歩み
 ネパールの歴史は非常に険しい道のりであった。1950年、ラナ家の独裁政権が終了し、民主化運動が開始された。さらに近代国家をめざしたが、王政となり、国王の権力が強くなった。国王の直接支配があった30年の間に、多くの人が犠牲となった。私もその1人で、若い時代に15年を獄中で過ごした。
1990〜1991年頃、再び民主化運動が活発化し、暫定政権が成立する。選挙によって選出された国会議員のもと、新たな憲法が制定された。憲法制定後は開発に力を入れたが、1996年、王政打破を目指しマオイストが台頭、ネパールは内戦へと突入した。

 マオイストの暴力活動が活発化するにつれ、国王はマオイスト弾圧のため、憲法のもと権力を強大化していった。その結果、政党勢力が国王と距離をおくこととなり、「マオイスト」、「国王」、「七政党連合」の三角関係ができあがっていった。
 七政党連合は国王に対し平和的なデモを行っていたが、マオイストは国軍との戦闘で敗戦が色濃くなっていった。そのマオイストが国王側と和平合意を結ぶのではという観測もあり、マオイストが和平の道に参加するのであれば、その方が望ましく良い役割を担えることから、七政党連合は、コングレス党が代表して国王側とマオイストの仲をとりもった。
2006年4月には、第2の民主化運動がおこった。マオイストは、単独では当初から武力において国軍に及ばず、国民の方が力を持っていた。その民衆の力をもって民主化が進められたのである。マオイストと国民の両者が力を合わせ、19日間のゼネストによる民主化要求運動を受け、ついに国王は政権を放棄したのである。

和平合意後の混乱
 以上の流れを受け、2006年11月、政府とマオイストの間で包括的和平合意が締結、その後、2007年に暫定憲法が制定され、2008年には制憲議会選挙が実施された。その結果、マオイストが第一党となり、連立政権を樹立した。
マオイストは政権につくと、司法や行政、国軍に介入したほか、言論の自由を制限するようになった。連立政権内でこれに反発した政党はマオイストから離れていき、ついにマオイストは政権の放棄に至った。
 マオイスト政権崩壊後、現在は22の政党が連立与党となり、共産党UMLの総裁が首相に就任している。

和平プロセスへの取り組み
現在、政治勢力間では、和平プロセスに関する政治課題の解決についての話し合いが続いている。そのなかで、私たちは今までの和平合意項目の遵守を優先させるべきだと主張しているが、マオイスト側は、まずパワーシェアを最初に守るべき課題だと主張して対立している。
引き続き交渉の努力はするが、武器、兵士を保持している政党と保持していない政党の関係は不平等なものである。今言いたいのは、憲法制定よりも平和が大事ということであり、平和でない状態というのは、武器があり、兵士がいる状態のことである。マオイストの武力により民衆が危険にさらされている状態では、憲法があっても意味がない。憲法制定の前に平和の実現が先決である。
しかしながら、もちろん憲法は重要である。憲法に示される活動の自由、言論の自由、財産所有権などは、民主主義国家であれば当たり前のことである。これらをもマオイストは制限しようとしているが、それは決して認められるものではない。マオイストが与党になれば独裁政権になってしまうだろう。

 現在ネパールには、全国に21ヶ所のマオイストの軍事基地がある。マオイストは、3,000の武器を保持し、32,000人の兵士がいると言っているが疑わしいため、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)が事実確認を行っている。現時点では、マオイストが兵士であるとした32,000人のうち、4,000人が民間人であり、実際には19,000人が兵士ではないかといわれている。
 マオイストの兵力統合問題については、UNMINも参加して、政府、マオイストとの間での交渉が続いている。治安維持に活かすべきという意見や、特赦を与えれば良いという意見もあるが紛糾している。当初はこの兵力統合の問題を6ヶ月以内に片づけ、憲法制定を2年以内に実現することを予定していたがこのプロセスは遅れている。マオイストの要求もエスカレートし、兵士の統合は憲法制定の後だ、などと言い出した。

 ネパールは民主主義/民主国家になった。マオイストも選挙を経て第一党になったのだから、もう武力に頼る必要はないのではないだろうか。平和な政治活動をするには、武器を捨て、武力に頼らず活動していくべきである。マオイストがそのような行動をとるよう我々も努力を続ける。
これから連邦民主共和国になるが、貧困などの開発の問題もある。今後も努力を続け、問題解決に励んでいく。

メッセージ
 最後に、ネパールの和平プロセスが大変ユニークであることをお伝えしたい。ネパールは他国の仲介なしに和平をすすめてきた。自分たちのことは自分たちでできると考えるからである。紛争は外からは解決できないことが南アフリカ、スリランカなどの紛争をみてわかっている。今後も努力を続け、ネパールを平和な国にする決意である。
日本の皆様にとって、紛争は遠い所の問題のように思うかもしれない。しかし、紛争はアフガニスタンの例のように火事と同じで、最初はどんなに小さくても、世界平和を脅かすものになりかねない。ネパールの隣にはインドと中国という2つの大国があるから放っておけば良いなどとは思わないで欲しい。病気も火事も国境を越えて広がるものであり、今日お話しした問題は、マオイストと私たちの間だけのものではなく、関心をもってくださる方皆の問題である。日本からも6人がUNMINに派遣されている。たとえ、遠くても小さくても皆で力を合わせて解決を目指すべきと考える。


質疑応答
質問:社会的対立要因について)
ネパールの紛争は、政治的イデオロギーの対立によるものと言われたが、民族や階級などその他の対立要因については問題ないと考えているのか?
回答)
確かに政治的な対立が原因と申しあげたが、ジェンダー等のさまざまな差別の問題は以前からあった。私たちは2007年から継続的にこれらの問題に取り組んでいる。女性の政治参加を促すため、議員の女性の比率も定められている。現ネパール政権には、差別されているさまざまなグループが参加している。
差別は取り除く必要がある。民族の格差や、宗教の違いが存在し、82%がヒンドゥー教徒、18%が仏教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒などであるが、マイノリティーにも配慮し、私たちはヒンドゥー教の国教制を廃止した。
これらの問題は法律から取り組む必要があるので、憲法に盛り込みたい。差別、不平等、格差、これらのことを考慮して憲法を作成しているので、再びこれらの問題により紛争が発生するとは考えていない。

質問:治安問題について)
マオイストの兵士統合の問題が極端に長引いており、現政府は失格でないか。このままでは和平プロセスそのものが破綻してしまう。平和どころかまた紛争になってしまう。兵士の要求もどんどんエスカレートしてきており、これをのんでしまっては民衆がこまる。ヒューマンセキュリティーについて政府の見解はいかが?
回答)
治安上の不安定要素の問題については、マオイスト以外にも武力による抗議行動を行う集団がでてきており、選挙そのものができないのではと言われている。マオイスト、コングレス党の人々も殺されている。しかし、政府は和平に向け努力を続けており、マオイストにもずっと武器ではなく対話による交渉でやるべきと言っている。

質問:マオイスト兵の統合について)
マオイストの兵士、軍事キャンプについて質問。ほかの国では、野党が軍事キャンプをもっている場合、政府の人間が関与できないということがある。ネパールでは憲法を守らせるなど、影響力があるのか?もしできていないなら、これからどうしていく?
回答)
今のマオイストのキャンプは暫定的なものである。与党とマオイスト両者話し合いの上で作成したもので、憲法にも特別委員会のコントロール下にあるべきと書かれている。しかし実際には、キャンプにいたる道路整備やマオイスト兵の給料も国が払っているのにもかかわらず、残念ながらマオイスト自身のコントロール下にある。こうした矛盾は、和平プロセスの課題の1つである。この問題の解決のための特別委員会があるので、マオイストのキャンプをその管理下におくべきであろう。和平プロセスの合意には、マオイストが守っていない事項がたくさんあるので、守るよう説得を続けている。

以上

第21回(2010年2月4日)「パキスタンとテロとの闘い−タリバンの現状と課題−」
 アリ・ムハンマド・ジャーン・オラクザイ退役陸軍中将(パキスタン 前北西辺境州知事)

第21回 「パキスタンとテロとの闘い−タリバンの現状と課題−」

アリ・ムハンマド・ジャーン・オラクザイ退役陸軍中将
(パキスタン 前北西辺境州(NWFP)知事)

_FAM1783-1.jpg開会の辞
堂之脇理事長よりJCCPの会員、支持者、事務局関係者などを代表して本日の来場者を歓迎の上、特別講演者オラクザイ将軍(退役中将)を紹介した。
同将軍は2001年から2004年までパキスタンのアフガニスタン国境沿いの連邦直轄部族地域(以下FATA地域と呼ぶ)とその北側の北西辺境州の治安を担当するパキスタン陸軍第11軍団の軍団長をつとめた上で陸軍を退役された。その後、2006年から2008年まで今度は文民として北西辺境州の知事もつとめられ、これらの地域の事情に精通しておられる方である。
今日の国際社会が直面する最大の課題の一つは「テロとの闘い」であるが、この闘いはまさに21世紀初頭の9・11事件を契機として始まった。FATA地域は現在でもテロリストのアルカイーダや戦闘的なタリバン兵士たちの活動拠点となっている。このように世界的に注目を浴びているにもかかわらず、この地域のことはわが国ではあまりよく知られていない。本日の講師のオラクザイ氏は9・11事件の直後に第11軍団の軍団長に任命されてパキスタンの対テロ戦争の最前線に立ってこられた方である。本日の講演会にこのようなパキスタンの「テロとの闘い」の最高の権威者をお迎えするのはJCCPにとり大層光栄なことである、と紹介した。

オラクザイ氏講演要旨(スライドで掲げたテーマを順次取り上げる講演形式であった)
(FATA地域とそこに住む人びと)
ご紹介いただいたように私は9・11事件から一月も経たない2001年10月9日に第11軍団の軍団長に任命されて、2年半の勤務の後2004年春に陸軍から退役した。その2年後に再びご縁があって北西辺境州の知事に任命され、2年後に退官した。
FATA地域の部族民たちは誰もがイスラム教徒である。保守的なイスラム指向であり原理主義指向ではない。部族民たちは平等的な社会を形成し、パシュトゥンの伝統的な規範を尊重している。たとえば、騎士道或いは武士道とか、名誉などを重んじ、先祖の仇を討つために100年でも200年でも待つ。とくに外部からの干渉を排除するためには全力を尽くす。また、そのようなジハード(聖戦)の同志をかくまったりもする。ワジリスタン地区にソ連と戦ったウズベク人、チェチェン人などの外国人が住んでいるのはそのためである。この地域には大量のアフガン難民も収容されていたが、これらのアフガン難民は事情により2004年以降北西辺境州に移動させられた。
FATA地域は約5000平方キロメートルの広さがあり、9・11事件までは全く平和な地域であった。タリバンとは宗教学校の生徒のことで、「戦闘的なタリバン、タリバン兵士」などは聞いたこともなかった。連邦直轄地域ではあるが伝統的な部族の長老たちによる自治、自立が認められ、パキスタン政府の軍や警察も立ち入ることはせず、国境沿いには政府側関係者が全く立ち入れない区域も存在した。また、FATA地域は開発資金が非常に乏しく1999年~2000年に投入された金額は13百万~14百万米ドル程度で、約350万人の人口からすれば一人当たり4ドルにも満たない。
(2001年から2003年にかけてのパキスタン軍の投入)
私が第11軍団の軍団長に就任して間もなくアフガニスタンにおいて米軍を中心とする連合軍によるアルカイーダとタリバンに対する攻撃が開始された。12月はじめにはFATA地域の西側でオサマ・ビン・ラーデンを追い詰めるトラボラ作戦が開始された。そこで、アルカイーダとタリバン兵士たちが国境を越えてパキスタン領内に逃げ込むのを阻止するためにFATA地域のカイバー地区、クラム地区に軍隊を投入するようにとの命令が私に下された。私は急遽12月11日から現地入りしてこれらの地区の部族の長老たちを次々と訪ねて協力を要請した。これらの地区への軍隊の派遣は全く先例のないことであったが、軍隊を送り込んで国境を密閉することに成功した。私がFATA地域で採用した戦略は三つのD、すなわち対話(Dialogue)のD、開発(Development)のD、そして国防(Defense)のDであった。部族民たちの心(Hearts and Minds)に訴えて協力を確保することができた。全面的な協力が得られたことを誇りに思っている。
次の作戦は2002年6月にかけてもっと南方の北ワジリスタン地区と南ワジリスタン地区への軍の投入であった。他方、同じ時期に内陸側のオラクザイ地区で実施したのは開発協力作戦であった。その後、2003年夏にかけては行われたのが国境沿いの北にあるモーマンド地区及びバハウール地区への軍の投入であったが、ここには厳重な立ち入り禁止区域があり、完全な軍の投入とはならなかった。
私の在任中のFATA地域への軍の投入の結果、国外から侵入してきた戦闘員の約700名を殺害し、約600名を逮捕した。逮捕者のうち240名ほどはアラブ人であった。パキスタン軍側の死者は1000名以上、負傷者は約3000名であった。今から振り返ると当時のタリバン兵士の抵抗はそれほど激しくなく、自爆テロなどが問題となる以前のことであった。
以上の作戦の目的は言うまでもなくテロの撲滅にあった。その後の作戦も含め、パキスタンはこの目的のために国境地帯に約14万人の軍隊を投入したのであり、3千5百キロほどのアフガニスタンとの国境沿いに950の見張り駐屯所を設置した。現在までの全体的な数字としては、軍側の死者約2500名、負傷者約6000名、タリバン兵士側の死者約7000名、負傷者8000名、一般人の死者約2万人といった数字が出ている。
忘れてはならないのは最大の被害者はFATA地域の部族民たちであったことである。多くのアフガン難民が流れ込んできただけでなく、地域内の多くの部族民が殺傷され、財産を失った。また、多くの部族民が避難民となり安全を求めて逃亡した。
(ソ連侵入後のアフガニスタン情勢とパキスタンへの影響)
ここで1980年代のソ連によるアフガニスタン占領以降のアフガニスタン情勢とパキスタンへの影響を簡単に振り返ってみたい。ソ連占領時代にはパキスタンはジハード(抵抗戦争)の最前線国家(Frontline State)としてアメリカなど西側諸国から多大な支援を受けたが、同時に多大の犠牲を強いられた。国内には約600万人に達する大量のアフガン避難民が流入し、今日でも約260万人が残留している。以前にはみられなかったアラブ人、ウズベク人、チェチェン人なども流入してきた。さらに、以前には存在しなかった芥子栽培や武器の文化が普遍化するようになった。
そして、ジハードが奏功して1989年にソ連軍が撤退した後にはアフガニスタンもパキスタンも国際社会から見放されてしまった。これが致命的な誤りであった。アフガニスタンではタリバンによる支配が確立し、アルカイーダ・テロリストたちの活動拠点ともなるに至ったのはその結果であり、9・11事件が発生したのもその直接的な結果に他ならなかった。
(9・11事件後の情勢)
9・11事件以降は米軍を中心とする連合軍によるタリバンとアルカイーダへの攻撃が開始され、パキスタンはこれに協力することを求められた。米軍の目的はオサマ・ビン・ラーデンの捕獲であり、アルカイーダの撲滅または弱体化であった。また、タリバンの撲滅または弱体化であった。さらに、アフガニスタンの民主化、再建と社会的、経済的開発であった。しかし、これらの目的のために使われた戦略は圧倒的に軍事力であり、それも空軍力偏重の戦略であった。そして、政治的な戦略が欠如していた。
このため、目的が達成されたとは言い難い結果に終った。オサマ・ビン・ラーデンは捕まらず、生死も不明のままである。タリバンは撲滅、弱体化されるどころか再編成されて山中に逃げ込んでしまった。民主化とか復興についても、アフガニスタンの大部分の地域で治安が悪化したために達成できない状況である。おまけに、全く新しい現象として年間7000トンと言われるほどに芥子栽培が普及し、これがタリバンの資金源となり、タリバンの影響力が強まる結果となった。
(米軍を中心とする連合軍の作戦が失敗した理由)
このような失敗の理由はいくつかある。第一は地域の歴史や文化への理解不足である。アフガニスタンでは20世紀はじめに英国軍約5万人が全滅させられ、生還したのはたった一人であった。最近ではソ連軍も撤退を強いられた。この地域の人びとの外部からの侵入者に対する敵意と復讐心の激しさについての歴史的教訓を学ばなかったのである。
第二は空爆への過度な依存である。空爆の回数は最初の1年間だけで1万2000回ほどにも達したが、ペンタゴンによれはその4分の1、約3000回が誤爆であったとのことである。こうした誤爆で犠牲となった一般市民や子どもたちは厖大な数に達し、米軍をはじめとする外部からの侵入軍に対する反感や敵意が強まった。これまでも外敵との戦いで先頭に立ってきたタリバンへの同情心が高まるのは当然な帰結であった。
第三に、アフガニスタンの人口の大多数を占めるパシュトゥン人が正当な発言権を与えられずに疎外され、差別され、少数派の部族が優遇されたことへの不満がパシュトゥン人が人口のほとんどを占める東部や南部地域に広がったことが挙げられる。
第四に、2003年から対イラク戦争が開始され、米軍の戦力がそちらに削がれ、アフガニスタンでの作戦がそれだけ弱まり、これもタリバンが勢いを取り戻す結果となったとことが挙げられよう。
失敗の最後の理由は、すでに述べたように、当初から軍事作戦だけが重視されて政治的な戦略が欠けていたことであり、タリバンとアルカイーダに対する掃討作戦を何時、どのようにして、どのような条件で終らせるのかを考えていなかったことである。
(オバマ大統領のAFPAK政策)
アメリカの軍や国務省などの政府関係機関の推定によるとアフガニスタン全土での戦闘的な、ハードコアのタリバン兵士の数は1万人から1万5千人とのことである。一つの見方によると1万3千人ほどがムラ・オマールを指導者とする勢力であり、残りはパガニ・グループとエムパギャ・グループがそれぞれ約千人ずつとのことである。驚くべきはアルカイーダ勢力で、僅か百人程度と推定されている。
次に注目すべきはタリバンとアルカイーダによる攻撃の発生回数である。2005年には月平均で200回であったのが2007年には倍の400回に増えている。タリバンとアルカイーダは米軍を中心とする連合軍に国境まで追いやられた後、米軍勢力が2003年からの対イラク戦争で手薄となったおかげで勢力挽回に成功したのである。その頃から自爆テロの発生回数も増えたことが統計数字で示されているが、周知のとおり自爆テロはアフガニスタン国内だけでなくパキスタン国内でも頻発するようになった。
こうした中で、2009年初頭に発足したオバマ政権は3月28日に「新アフガニスタン、パキスタン政策――AFPAK政策」を発表した。先ず注目されたのはオバマ政権のパキスタンについての一種の先入観、誤解であった。それは、タリバンの主たる拠点がアフガニスタン内ではなくパキスタン側、それもFATA地域内にあり、問題はこれを取り締まれないパキスタン政府にあるとの考え方であった。これはすでに述べたように9・11事件直後から「テロとの闘い」に協力してきたパキスタンにとり心外なことであった。
また、オバマ政権の「AFPAK政策」はアフガニスタンとパキスタンを有機的な一体として扱い、アフガニスタン及びパキスタンが自力でタリバンを取り締まる能力をつけるために支援するものであった。この新政策は三本柱からなり、第一はすでに派遣されている6万8千人の米軍に加えての1万7千人の増派と、さらに4千人の訓練要員の派遣であった。第二は文民支援強化策(Civilian Surge)であり、治安体制や法体制の整備を支援するための30名ほどの文民顧問の派遣であった。第三はタリバンとの和解であり、タリバンの指揮官や兵士に対して武器を捨ててアフガニスタン憲法を遵守するよう説得し、これに応ずるタリバンと和解するとの方針であった。但し、ムラ・オマール指導者は対象外ということで、対象範囲については米側とカルザイ大統領の間に意見の相違があったと言われている。
なお、この新政策のもとでオバマ政権はパキスタンに対しては今後5年間、毎年15億ドルの経済支援を行うと約束したが、これをアフガニスタンに対する毎月25億から30億ドルの経済支援に比べれば僅かなものである。ソ連によるアフガニスタン占領と戦う「最前線国家」として多大な犠牲を支払ったパキスタンに対する支援としてはあまりにも乏しい額と言わざるを得ない。
この2009年3月のAFPAK政策は12ヶ月か18ヶ月後には見直すとされていた。しかし、僅か8ヶ月後の2009年12月1日に新政策が発表された。これは米軍をさらに3万人増派し、アフガニスタンの国軍や警察が自力で対処できるように支援し、2011年7月からは米軍の撤退を開始するとの新政策であった。
さらに、本年1月末にはアフガニスタン支援のためのロンドン会議が開催され、2011年10月までにアフガニスタンの国軍を17万人余りに、警察官を13万人余りに増強し、3年以内に不安定地域での作戦の大半を、5年以内には実質的に治安確保の全責任を自力で担えるようにするとの方針が承認された。また、「平和と和解のための基金」を設立し、これに援助諸国が拠出することも合意された。
ロンドン会議をフォロー・アップする支援国会議はカブールで開かれることになっており、カルザイ大統領はそれに向けて部族長老たちによるジルガを開催するとのことで、タリバンとの和解に向けての動きも始まっている。テロリストと協力はせず、アフガニスタン憲法を支持する「穏健なタリバン」とは協力するとのことで、ブラック・リストから外すとされた元タリバン政府の外相など5名の著名人の氏名も報道された。もっとも、これらの人びとは現在の「戦闘的なタリバン」とは全く関係のない古い人たちであり、何故彼らの名前が出されたのか理解に苦しむところである。
(9・11事件後のアフガニスタン情勢がパキスタンに与えた影響)
次は、スライドに掲げたように、9・11事件後のアフガニスタン情勢がパキスタンに与えた影響である。9・11事件以前にはパキスタン国内には「戦闘的なタリバン、タリバン兵士」などは存在しなかったし、自爆テロも存在しなかった。9・11事件以降アフガニスタンで多くみられるようになったこうした現象が隣のパキスタンにも流れ込み、大変な被害を蒙っているのが現状である。パキスタン側の人的、物的損害はとくにFATA地域を中心に莫大なものがあり、専門家たちの見積もりでは被害総額は140億ドルに達するとのことである。この被害に対し友好国から提供された支援は微々たるもので、これまでのところFATA地域で3百万ドル程度に過ぎない。
外部からの開発支援が乏しいFATA地域はパキスタンでも最貧の地域であり、教育や就職の機会に恵まれない若者が多い。これらの若者がタリバン側からすればリクルートするのに絶好な対象となるのである。これが「テロとの闘い」を難しくしていることは言うまでもない。
もう一つ、極めて大事なことは、9・11事件直後の2、3年にパキスタン人の間で「対テロ戦争はアメリカの戦争」との見方が確立してしまったことである。アメリカは徴兵された米軍兵士が犠牲となるのを嫌って空爆を偏重する作戦をとっているが、すでに述べたように空爆には誤爆が伴う。誤爆によりアフガニスタンや国境地域の一般市民や子どもに多数の犠牲者を出すやりかたはいかにもアメリカ的で、「アメリカの戦争」なのである。しかも、外部からの侵略者に敵意をつのらせ、激しく抵抗するのがこの地域の人びとの伝統と慣習なのである。こうした空爆に最近では「ドローン」と呼ばれる無人攻撃機も導入されているが、これも反米感情を激化させるだけのことである。
さらに、14万人もの国軍を国境に展開し、タリバンの自爆テロなどで多くの犠牲者を出しながらも対テロ戦争に協力しているパキスタンに対して、パキスタンこそが問題国であるとするオバマ政権の姿勢が反感を招いたことは言うまでもない。
なお、オバマ大統領は民主党だけでなく共和党を含むすべての関係者が喜ぶ政策を求めているようである。今年が中間選挙で、来年からは第二期目の大統領選挙であるからこれはやむを得ないことであろう。その結果が3万人の米兵増派により18ヶ月後から米軍を撤退させるとの「増派と撤退Surge and withdraw」の作戦である。しかし、タリバン側にしてみれば外国侵入者の排除が最終目標であり、時間的制約にとらわれない立場である。米軍が撤退するならそれまで待とうということになる。いかなる作戦でも基本的に大事なことは「どのように戦争を戦うか」ではなく、「どのように戦争を終らせるか」である。(すなわち、タリバン側の「作戦勝ち」?)
(提言)
最後は、スライドに掲げたとおり、私の提言である。主な考え方だけを列挙してあるが、先般のロンドン会議は方向としてこの考え方に沿ったものであり私は大層満足している。この提言は実は私が北西辺境州知事であった2006年9月にムシャラフ大統領に同行して訪米し、当時のブッシュ大統領に直接提出したものである。その後、カルザイ大統領の事情で状況が変わってしまったのは残念なことであった。
先ず、政治的な措置として、すべての当事者による(across the board)対話の場が必要である。すべての当事者であるから部族の長老などのハイ・レベルの者だけでなく、顔の見えないタリバン兵士の代表も含める必要がある。こうした対話は国連のような中立的な機関によって主催されることが望ましい。
そして、停戦と戦闘行為の停止、捕虜交換などの軍事的な措置が必要である。
その上で、アフガニスタンのすべての民族、部族の代表者によって構成される全会一致の政府(consensus government)の樹立が必要である。
さらに、治安体制の確立、法整備なども必要となる。現に国家警察の再建が進んでいるとのことであるが、これは結構なことである。
また、国内、国外の避難民の復帰を進める必要もある。パキスタンやイランに長期にわたり現在でも残留している避難民はこれらの国にとりあまりにも大きな負担となっているからである。
その上で、すべての外国軍隊の撤退が必要となろう。これは国連のような中立的な第三者による監視のもとに行われる必要があり、イスラム諸国機構の活用も考えられよう。
芥子栽培の問題にも関心をはらう必要がある。このために2~3百万ドルの資金を費やすことはこれまでの膨大な戦費にくらべればたいしたことではない。年間数千トンにも達する芥子栽培を医薬品に転換するのがよいであろう。2~3年の時間をかければこれは可能であろう。
さらには「戦闘的なタリバン」の社会復帰が必要とされるであろう。これはアフガニスタンだけでなくパキスタンにおいても必要な措置である。このためには強力な経済支援が必要となる。
アフガニスタンだけでなくパキスタンもソ連によるアフガニスタン占領以来「最前線国家」として長年にわたり多大な犠牲を強いられたのであり、国際社会は大規模な開発支援の手を差し延べる義務がある。「テロとの闘い」のためにはアフガニスタンでもパキスタンでも若者に対する教育、職業訓練などが必要であり、それには援助諸国からの多大な支援を必要としているからである。

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質疑応答
以上をもってオラクザイ氏の講演は終了し、司会の堂之脇理事長より予定の時間はすでに超過しているが、折角の機会であるので若干時間を延長して数人から質問を受け講師にお答え頂くことにしたいと提案して、以下の質疑応答がおこなわれた。

質問:あなたはオラクザイ地区出身とのことですが、親族はまだこの地区に住んでいて訪ねることができるのですか?
回答:まだ住んでいる親族もいますが、軍事作戦があると聞いて安全のために逃げ出した親族もいます。この地区の他の部族民も同様で、10万人ほどが居残り、10万人ほどが逃げ去った状況です。
質問:「テロとの闘い」との関連でパキスタンの諜報機関ISI(Inter-Services Intelligence Directorate)の役割についてお聞かせください。
回答:ISIはその名のとおり陸、海、空などの軍関係省庁からの出向者で構成されている連邦政府内の組織であり、関係省庁からの出向者の出向期間も2~3年と短いのです。したがって、ISIは他の政府機関から独立した機関ではなく、「政府の中の政府」などではありません。以前タリバンとリンクがあった時期もあったかも知れませんが、現在ISIが国境の向こう側のタリバンと秘密にコンタクトすることなどはあり得ません。お話したようにパキスタン政府は「戦闘的なタリバン」と戦っているのであり、この戦いでパキスタン陸軍は約2500名の死者、6000名もの負傷者を出しているからです。
質問:内政問題ですが、ザルダリ大統領とシャリフ前首相との政治的対立、そしてキアニ陸軍参謀長の任期が本年末で切れること、この二つがパキスタン軍のFATA地域での「テロとの闘い」に与える影響についてお聞かせください。
回答:残念なことに軍の介入などでパキスタンの民主主義は何度も妨げられてきましたが、パキスタンは未だに政治的には移行期(transition period)にあるのです。ご質問の二人の文民政治家の対立は、それぞれが指導的な立場の政治家のことですから違いがあるのは当然で、それほど心配すべきことではないと思います。
キアニ陸軍参謀長が12月に退任することは事実ですが、パキスタン陸軍はすぐれた職業集団(professional army)であり、強固な組織体でもあります。したがって、組織内の個々の責任者の交代によって「テロとの闘い」などの組織或いは政府としての政策が左右されることなどはあり得ず、心配するようなことはないと思います。
質問:パキスタンの若者に対して具体的にどのような政策が必要だとお考えですか?
回答:教育を受けられず、職も見つけられない若者たちがテロリスト・グループにリクルートされてしまう可能性は高いのです。ですから教育の機会を整え、就職を支援することが大事です。これはパキスタン全土にも当てはまることですが、財政的に貧しいFATA地域と北西辺境州ではこのための財政的支援がとくに必要とされており、主としてこれらの地域の問題であると理解していただいてよろしいと思います。
質問:FATA地域に2002年からパキスタン軍が投入されましたが、その結果この地域の政治的均衡にどのような変化が生じましたか?
回答:この地域へのはじめての軍の投入は私が責任者として行いましたが、はじめてのことなので若干の混乱は避けがたいことでした。それでも部族民たちの心(hears and minds)に訴える作戦をとり、開発活動も同時に行ったので全面的な協力が得られたと思います。政治的均衡とのことですが、軍事は軍主導で、開発は部族民主導でという分業体制がつくられたと思います。政治的均衡に変化が生じたのは後に「戦闘的なタリバン」が出現するようになってからのことで、彼らは部族の長老などを次々と殺害したので若手の部族民たちがタリバン側になびくといった力関係の変化が生じました。
しかし、ここで強調しておきたいのはFATA地域の伝統や文化は数千年の歴史に根ざしており、数年間で簡単に変わるようなものではないということです。近い将来に必ず現在の混乱状態から立ち直るものと信じています。
質問:ISPR(統合報道局)の情報によると、パキスタン軍はオラクザイ地区と北ワジリスタン地区に作戦を広げたくないとしているようですが、最近のキアニ陸軍参謀長の発言などを見ると米軍などの連合軍とパキスタン軍の間には戦略的目標にずれがあるようです。これをどう思われますか?
回答:パキスタン軍は米軍、英軍などの連合軍との間のあらゆるレベルで良好で緊密な連絡、調整関係を保っています。しかし、北ワジリスタンでの作戦など個々の作戦についてはパキスタン軍も主権国家の軍隊(professional army)である以上何時、どのように作戦を開始するかについて独自の判断を行うのは当然のことです。それ以外でも、たとえばアフガニスタンとの国境に配備している14万人の軍隊は「テロとの闘い」が始まってから8年間同じ兵士たちが張り付いているわけではなく、2年毎に交代させているのです。また、FATA地域での作戦だけがパキスタン軍の作戦全体ではなく、主権国家の軍である以上独自の判断は当然のことです。
基本的には米軍とパキスタン軍の間の連絡、調整は緊密に行われていて問題はないのですが、作戦目標についての意見の違いはあり得ますし、それについての報道もよくあることで別に目新しいことではありません。
質問:タリバンとの和解、それもハイ・レベルでの全員参加の(across the board)対話を提案されましたが、これは実際にはどのように進められるのですか?また、5人の元タリバン関係者がブラック・リストから外されたとのことですが、どう思われますか?
回答:相対立する人びとが全員参加の(across the board)対話と和解を行うためには中立的な機関(neutral body)が間に入る必要があります。これが伝統的なジルガのやり方です。中立的な機関はアフガニスタン政府側と「戦闘的なタリバン」側の双方に影響力があり、双方から受け入れられる人たちでなければなりません。なお、パキスタンはこの中立的な機関に入ることはできません。しかし、国内に2百万人以上のアフガン難民もいますから対話と和解にはパキスタン代表者も参加するべきです。いずれにしても、この中立的な機関の仲介により相対立する立場を問題解決に近づけるのです。その上で、すべての地域、民族、部族の代表者が選ばれる選挙などにより暫定政府を樹立すべきであり、必要とあれば憲法の改正とか、外国からの支援要請などについても決めることになるのです。なお、ブラック・リストから外された5人のことについてお尋ねですが、彼らは「戦闘的タリバン」とは全く関係のない人たちであり、何が狙いであるのか私には理解できません。
質問:最近行われた「アフガニスタンに関するロンドン会議」は平和をもたらすことにつながると思われますか?
回答:8年間も続いた対立の後ですから、和解に向けての正しいスタートであったとは思いますが、打ち出された政策が成功するためにはさらに改善、手直しの必要があります。いろいろと厳しい条件があり、矛盾があるからです。たとえば、アメリカのクリントン国務長官の言葉によればすべてのグループの「指導者たち」が話し合う必要があるとされていますが、タリバンの指導者たちだけでなく、現場のタリバン兵士たちの要望にも耳を傾ける必要もあります。まだ始まったばかりの和解プロセスで、その成否について予測できる段階ではありません。

閉会の辞
以上の質疑応答の後、堂之脇理事長よりオラクザイ氏に豊富な知識、経験に基づく貴重な情報と提言を共有させて頂いたことに心から感謝したいとの謝意を表明した上で、閉会の辞を述べた。

第20回(2009年10月9日)「バルカン事業報告会〜エコでバルカンに平和を築く〜」
 松元洋(JCCP在バルカン代表)、上田貴子(JCCP在バルカン駐在員)

第20回 「バルカン事業報告会〜エコでバルカンに平和を築く〜」

松元洋  (JCCP在バルカン代表)
上田貴子 (JCCP在バルカン駐在員)

第19回(2009年9月4日)「ケニア事業報告会〜暴動後のコミュニティ再建〜」
 高井史代(JCCP在ケニア代表)

第19回「ケニア事業報告会〜暴動後のコミュニティ再建〜」

高井史代(日本紛争予防センター在ケニア代表)

第18回(2009年7月31日)「スリランカ事業報告会 紛争終結〜求められる避難民への支援とは〜」
 塚本俊也(JCCP理事、スリランカ事業プロジェクト・マネージャー)

第18回「スリランカ事業報告会 紛争終結〜求められる避難民への支援とは〜」

塚本俊也(日本紛争予防センター理事、スリランカ事業プロジェクト・マネージャー)

第17回(2009年4月28日)「スーダン事業報告会〜銃ではなく平和を〜」
 瀬谷ルミ子(JCCP事務局長)

第17回「スーダン事業報告会〜銃ではなく平和を〜」

瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター事務局長)

講演内容】(抜粋)

1. スーダン概要

 アフリカで最も大きな国スーダンは、北部を中心にアラブ系40%、南部を中心にアフリカ系31%が住んでいます。スーダンでは2005年1月に包括的和平合意(CPA)が結ばれましたが、長年にわたる南北間の紛争による被害は激しく、現在も多くの難民や貧困状態で生活する人々がいます。このたびの2009年2月の調査では、スーダン国内の5地域における調査を行いました。なかでも、今年からJCCP事務所を設置し支援展開を行う予定の南部の首都ジュバは、武装勢力にとらわれていた子ども、難民キャンプから帰ってきたけれど住む家がない人々であふれています。


2. 今、スーダンに必要な支援とは

 治安の回復・安定化を進める上で現在または今後行われる支援として、「DDR(兵士の武装解除、動員解除、社会復帰のための支援)」、「コミュニティの治安改善」、「子どもと若者への支援」の3点があります。

①DDR

 DDRについては通常、最初のDである武装解除部分は国連PKOなど第三者が実施してきました。しかし、スーダンの場合は武装解除を実施するのは第三者機関ではなく、スーダン政府自身が行います。

2番目のDである動員解除は兵士を除隊する、つまり兵士を兵士でなくすことですが、スーダンでは動員解除される対象者のリストが掲示され、動員解除キャンプなど所定の場所で手続きを行います。このとき除隊後に社会復帰支援を受けるまでの間生活に困らないよう、必要な食料や日用品などの物資を渡します。

最後のRは社会復帰を指し、一般社会で生きていく(働いていく)ための訓練を行います。たいていの国々では、現地でニーズが高い分野の職業を訓練対象にしていく必要があります。この支援をするにあたって、マーケティング分野に精通している人と連携できると理想的だと考えています。


②コミュニティの治安維持

 スーダンでは一般市民も2~3丁銃を持っているのが当たり前なので、兵士から銃を奪っただけでは十分とは言えません。南北の紛争は市民にも武器を広めました。そのため、市民の間で起こる水や家畜の争いにも武力(銃の使用)が伴ってきます。

 スーダン人にとって水や家畜は命がけでも守りたいものなので、争いがよく起こり、それが治安を悪化させる一つの要因となります。このような場合は誰が争いを止めるのか。本来であれば警察です。しかし、スーダンの警察は村人にとって確実に頼れる存在ではありません。以上のことから、まずは市民からの武器回収または武器をきちんと管理できるような仕組みづくり、争いの原因を探ることにより、たとえば水場を巡る争いなら水場を増やすことで問題解決を図る仕組みづくりが必要になります。さらに、中長期的には、人々の安全を守れる警察機能の改善を図ることが必要です。


③子どもと若者への支援

 今回の現地調査でJCCPとしての支援を行う上で、焦点のひとつとなったのが子どもと若者に対する支援です。南部スーダンでは、自分の村に帰ることができない事情を抱えている元少年兵や、年齢によって子どもとしての支援対象外となる若者もいます。停戦後に18歳を超えた元少年兵は「子ども」ではなくなり、UNICEFなど子どもを対象にした団体の支援を受けることが困難になります。

 他にも、両親が病気であったり、刑務所に入っていたりするために、自分が代わりに働いているという子どもたちがいます。また、紛争後にスーダンへ帰還したが頼れる人がいない子どもたちもいます。このような子どもや若者がスーダンには多く見受けられます。

 このような環境下で、犯罪行為に巻き込まれたり、自分が犯罪行為に手を染めてしまう子どもたちも出てきます。


3. 未来のスーダンとJCCP

 JCCPは特に③の子どもと若者への支援に焦点を当て、犯罪予防、心のケアのための啓発支援、さらに支援が届かない年齢・境遇にいる若者への職業訓練を行う準備を進めています。ここで重要なことは、「まず本人自身が自らの力で生きていこうとする」ということです。厳しい言い方にも聞こえるかもしれませんが、これは「誰かに頼るだけ」の生き方を防ぐためです。戦争が終わり、その後「どう生きるか」を選ぶのは他の誰でもない本人です。将来を担っていく人々の生きる姿勢は、そのままその国の将来の姿に通じていると思うのです。だからこそ、自分で生きていくための選択をしてそのために努力しようとするスーダンの人々にもできる限りの支援をしていきたいと思います。

第16回(2008年12月4日)「タリバン勢力の復活(最近のアフガニスタン・パキスタン情勢)」
 進藤祐介氏 (外務省 大臣官房考査・政策評価官、前国際情報官 安全保障、国際テロ等担当)

第16回「タリバン勢力の復活(最近のアフガニスタン・パキスタン情勢)」

進藤雄介氏
外務省 大臣官房考査・政策評価官、前国際情報官
(安全保障、国際テロ等担当)

【講演内容】(抜粋)

(本発表は外務省の見解ではなく、あくまで進藤氏個人の見解を発表したものです。)

1999年から2002年までのドイツ在職中、アフガン戦争の和平合意会議であるボン会議に出席したほか、在ドイツのアフガン人の和平運動にかかわる機会があった。帰国後、外務省通常兵器室長となったが、当時の外務省は平和構築(小型武器、DDR)に力を入れており、そこで再びアフガニスタンと関わることになった。さらに前職に国際テロ・安全保障担当の国際情報官としてアフガニスタンとしてかかわり、本年10月に最近のアフガニスタン・パキスタン情勢をまとめた「タリバンの復活」という本を出版した。

1.タリバンとは

初期タリバン
タリバンの活動は94年から、パキスタンのアフガニスタン国境付近のマドラサのアフガン人学生たちを中心に始まった。タリバンを考える際には、それが「パシュトゥン人」という「民族」の運動という側面があるということを認識することが重要である。タリバンの運動とは、パシュトゥン人による世直し運動であり、つまり内戦で荒廃した祖国を憂い、イスラムによって世を直そう、というものであった。イスラムを厳格に守るアフガニスタンでは、当時民衆は、タリバンに対して治安回復への期待、そしてパシュトゥン人支配の復活への期待を持っていた。
タリバンの盛衰
1996年、タリバンはカブールを制圧、98年にはマザリシャリフ制圧し、国土の大部分を支配した。タリバンによるアフガニスタン支配は、イスラム教による支配であり、特に女性に対する制限(服装、就労、教育における差別)は欧米から批判を受けたが、この習慣はパシュトゥン人の田舎では普通に見られるものである。つまり、タリバン運動とは、素朴な田舎の良い社会を実現しようとしたものともいえる。9.11後、2001年10月からの米軍等による軍事行動が始まったが、タリバンは壊滅したわけではなく、隣国のパキスタンに逃亡した。

2.タリバン復活の影響

アフガニスタン
●テロ事件の急増(2005年以降)、テロ発生の地理的拡大(パシュトゥン居住地区から他地域に拡大)
●自爆テロの発生(2002年までは自爆テロはゼロに近かったのが、2006年には急増)
●IED(簡易爆発装置)による攻撃の増加
●外国人誘拐の増加・・・外国人の誘拐を主たる戦略の一つとして使用。身代金の高額化。
パキスタン
●タリバナイゼーションの進行(ローカル・タリバンの出現)
→国境地域のパシュトゥン人が、タリバンの主義・主張に共鳴し、ローカル・タリバンを形成、タリバンに協力するようになる
●アフガニスタンへの越境攻撃の増加
→部族地域で休戦協定ができた後、アフガニスタンへの越境が増加した。自爆の8割以上はパキスタンからのものであるという国連の報告もある。
●ラール・マスジッド事件。
→神学生によるモスク立てこもり事件。首都イスラマバードにまでタリバン化が及んだ。
●パキスタン兵の死者数急増
→ラール・マスジッド事件とそれに伴う武力衝突後、武装勢力は本気でパキスタン軍を攻撃するようになった。
3.タリバン復活の背景

アルカイダとタリバンの関係
タリバンの復活にはアルカイダの復活が関係している。2007年、米情報機関関係者は、アルカイダの復活を公言した。そもそも、タリバンとアルカイダの関係については、ビンラディンがタリバンの庇護下に入る代わりに、資金面、軍事面(軍事戦略、軍事訓練含む)でタリバン支援するというものであった。1999年オマル氏暗殺未遂事件後、ビンラディンとオマルがさらに親密になったといわれる。アルカイダの影響を受け、タリバンは自爆テロやIED攻撃などの新たな戦術手法や思想的傾向を見せている。
また、アフガン以外に関心が無かったタリバンが、外部(パレスチナ、イラク、カシミール)に目を向けるようになった(=グローバル・ジハード)のもアルカイダの影響である。グローバル・ジハードへの傾倒によって、外国人戦闘員も増加したとされる。
ボン合意後の経過
アフガン戦争後の和平合意であるボン合意は、タリバンを含めずに行われ、これが結果としてパシュトゥン人に疎外感を与えた。国連等は、パシュトゥン人のカルザイを大統領にしたが、南部のパシュトゥン人は自分達の代表と感じられず、また政府の要職は、少数のタジク人が握っていた。これによる、パシュトゥン人の不満が、タリバン支持へとつながっていったという側面がある。また、アフガニスタンの統治システムの欠如も、民衆のタリバン支持の一因である。イラクと違い、アフガニスタンは長年にわたる内戦で統治機構がほとんど存在せず、また、もともと部族社会の伝統が根強かったため、なかなかカルザイ新政権が統治の体制を整備することは容易ではない。そのこともあり、現在カルザイ政権下では、治安の悪化、経済停滞、政府機関の汚職腐敗が起こっている。 また、アフガニスタンに駐留する連合軍への批判も、タリバン支持につながっている。連合軍による軽率な振る舞い(地元の伝統や文化の軽視、住民の殺傷等)、更にはタリバンによるプロパガンダが、アフガニスタン人の反連合軍意識を強めている。

4.今後の見通し

来年のアフガニスタン大統領選挙
現カルザイ大統領は最近選挙を意識し、国民の共感を呼ぶべく連合軍批判を行っている。アフガニスタンの民族構成から考えると、新大統領がパシュトゥン人から選ばれるであろうということは確実であろうが、パシュトゥン人の候補が一人に絞られるのかどうか、カルザイ現大統領が再選するのかは現時点では分からない。野党的立場をとる国民戦線(旧北部同盟関係者主体)は、現時点では、比較的おとなしくしており、様子を見ているような印象をうける。
パキスタンの対応
タリバンへの対応に関しては、文民政府、軍、情報機関(タリバンを支持しているといわれる)がいかに連携するのかが今後の課題である。パキスタンの国民は、米軍による越境攻撃に関しては批判的な感情を持っている。
米国・オバマ氏の対応
アフガニスタンへの増派の意向は表明しているが、アフガン政策変更の可能性については今の時点でははっきりとはわからない。一方、イラクの経験はおそらく参考にならないと思われる。アフガンの軍事的制圧は可能かどうか、また米から日本を含めた同盟国への圧力が増加するのかどうか、今後の動向に注目である。
タリバンとの対話の可能性については、対話に向けた動きがサウジアラビアの仲介で行われたりしたが、タリバンは自分たちが勝者であると確信しているため、対話に関心を示していない。ただ、タリバンも一枚岩ではないので、対話に関して柔軟な姿勢をもつパシュトゥン人を取り込めるかどうかが今後の鍵となるであろう。

【質疑応答】

Q1. イスラム過激派にこれからどのように対応していくべきか。
A1.そもそもタリバンをテロリストとして扱ったのが問題を複雑にしている。9.11後の米軍による軍事行動は致し方ないとしても、タリバンをテロリストとして扱ったことによって、タリバンへの対応が「殺すか捕まえるか」になってしまった。タリバンは、いわばパシュトゥン人の民族主義の運動であるともいえるが、パシュトゥン人という民族を一掃するということができない以上、彼らをテロリストとして扱い、話し合いの余地を持たなかったことが解決を難しくしているという面がある。
「テロとの闘い」というスローガンの下、多くの人がタリバンをテロリストだとみなしているが、たとえタリバンがアフガニスタンで政権をとったとしても、彼らはアメリカの本土攻撃は考えたりする勢力ではない。イスラム圏の国には、イランのように、宗教指導者が国の最高指導者になっている国もある。タリバンが、国の政治にかかわることはやり方によっては考えられうる。

Q2. 上記の質問に関連して、現状ではタリバンとアルカイダの関係はどうなっているのか?タリバンがテロリストでないとすれば、アルカイダは?
A2.タリバンの運動はいわば土着のもので、アフガンだけが関心事項である。アルカイダは、アラブ人中心の活動で、アフガニスタンに限らず、どこからでも、米国への攻撃を目指すだろう。現時点では米国をアフガニスタンから追い出すことで両者の目的が一致しているが、それ以降のことについては路線の違いがあらわれるのではないだろうか。

Q3. カルザイ大統領や米軍の働きかけによるタリバンとの対話は有効か?
A3.難しいのではないか。タリバンの幹部たちに対話する意思は無い。タリバンは自分たちが勝っていると思っている。一般的に言って、不利な側、負けそうな側から対話を切り出してもうまくいかない。ただ、タリバンは一枚板ではないから、それらの者たちを取り込める要素はあるだろう。

第15回(2008年8月28日)「スーダン・ダルフールにおける国内避難民(IDP)保護:現状と課題」
 帯刀豊氏 UNHCR スーダン・ダルフール(Habilla地区)事務所、難民保護担当指揮官

第15回「スーダン・ダルフールにおける国内避難民(IDP)保護:現状と課題」

帯刀豊氏 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
スーダン・ダルフール(Habilla地区)事務所、難民保護担当指揮官

堂之脇光朗理事長 冒頭挨拶

 昨日、アフガニスタンで活動していたペシャワール会の伊藤和也さんが殺害されるという大変不幸な事件が報道されました。この事件を受けて、紛争予防・平和構築活動の努力がますます必要だと強く感じております。そのような状況下、本日は一昨年からスーダン・ダルフールのUNHCRで働かれている帯刀豊さんからスーダンの現状、現場の実情についてお話を頂きます。

【講演内容】

 先日、ICC(国際刑事裁判所)検察官がスーダンのバシル大統領の逮捕状を請求しました。現職の大統領の訴追判断が下されれば、スーダンに大きなインパクトを与えることになります。検察官による逮捕状請求がなされた現段階ですでにスーダンの国内情勢が悪化するとの見方があり、UNHCRやNGO、他の国際機関にも活動面で影響を与えました。この影響は年末まで続くと思われ、今後も注意を払う必要があります。そのような状況下で、UNHCRは現在ダルフール全域で活動を行っています。本日はUNHCRのスーダンでの活動、現在の問題点、今後の課題についてお話します。

 アラブ系対アフリカ系の対立の他に、スーダン・ダルフールを不安定化している要因を二点挙げることができます。一つ目は隣国チャドとの関係です。スーダン国内ではアラブ系が支配者層、アフリカ系が被支配者層なのに対し、チャドではアフリカ系が支配者層、アラブ系が被支配者層です。そのようなねじれの現象のため、チャド国内からダルフールのアラブ系武装勢力を支援するための人員が流入してきています。そのため、国境地帯の警備が重要です。また、過去1年間で天候が悪く、農作物の収穫が激減してしまったため、食料不足が起きています。紛争とは別に生活環境の悪化で逃げる人も出ています。

 そのような状況下、UNHCRは難民保護、人道支援をミッションとして活動をしています。一口に難民と言っても、IDP(国内避難民)と難民とに大別されます。現在、2百万から3百万のIDPがダルフールに存在すると言われており、ダルフールではIDPを主に支援してきました。また、チャドからの難民、かつてチャドへと逃げ、スーダンに帰還する帰還民についても保護を行う必要があります。ただこちらは難民のバックグラウンドが複雑で、2003年の状況の悪化による深刻な人権侵害のために隣国チャドに逃げた人もいれば、20年前にチャドに移動・避難した人もいます。また、避難民とは別に農作時期に合わせて、チャドとスーダンを行き来する人もいます。そのため、どのように難民や帰還民を認定し、対応するのか、慎重に考える必要があります。

 難民とは別に、生活上の理由等で、避難はしないけれど、紛争により危険に晒されている住民もいます。そのため、それらの人々の保護、支援をどの機関が担当するのか、という問題があります。

 このような状況下、その他の国連機関等との連携は重要な課題です。現在、国連機関間での所謂クラスターアプローチとしての連携は公式には行われていませんが、現場レベルでの調整、協力は行われています。例えば、上記で挙げた様々な理由で自分の家から離れることのできない住民に対しては、WFPやUNICEF、UNHCRといった緊急援助系の機関が支援のあり方を検討しています。

 また、人道と政治を切り離す必要があります。UNHCRは人道支援機関であり、政治についての立場を示すことはありません。ただ、政治性を伴う活動を実施する機関と連携することにより、IDPからUNHCRはスーダン政府を支持していると誤解されることがあります。例えばUNAMID(ダルフール国連AU合同ミッション)。UNAMIDは、政治プロセスの支援、和平合意の履行の監視を主なミッションとしている機関で、政治色を帯びています。UNHCRが保護を行っているIDPの中には、スーダン政府に反旗を翻しているアフリカ系武装勢力を支持している人達も多くいます。そのような人達が政治的な活動をキャンプ内外で行うこともあります。そのため、UNAMIDと連携することにより、彼らからUNHCRは政府をサポートしていると誤解され、IDPキャンプ内での活動が難しくなることがあります。UNHCRと政治とは関係のないことを明示することが必要になります。

 そのような状況下でIDPキャンプ内に警察等の政府関係者を立ち入らせることは困難です。しかし、これにはIDPキャンプ内の治安悪化という問題があります。治安維持の責務を担うUNAMIDが未だ十分にその機能を果たせていないため、治安の確保が難しい状態です。

 IDPキャンプの他の問題としては、IDPでない周辺住民を引き付けてしまう、ということが挙げられます。難民キャンプの運営が長期化してくると施設がそろい、生活水準が向上してきます。また、さまざま国際機関が活動を行っているため、教育の提供等、キャンプの外で暮らすより良い生活が送れるという評判が立ちます。そのため、そのような生活を求めて、治安に関する保護の必要のない人達もキャンプに集まってきてしまいます。

 「IDPキャンプ」というのは一時的な避難所であり、長期的な解決としては、IDP・難民が無事帰還を果たすことが必要です。そのため、キャンプに難民を引き付ける要因を減らそうという配慮が議論されています。安全がある程度確認された地域では、戻ることを希望するIDPには帰還を受け入れ、村で食料等の支援を行う、という考え方もあります。問題としては、保護の観点から安全の確保をどうするのか、という点があります。

 また、最終的に帰還を果たすことを目標としていても、物理的にIDPが帰還できない場合もあります。住民が避難して、誰もいなくなった村にアラブ系住民が住み着いてしまうケースが見受けられます。避難した住民は、紛争で身分証明書や家の所有に関する文書を失くしているため、政府として紛争の被害を補償することが難しくなります。そのため、スーダンの状況が好転し、帰還が本格的に始まる段階で、土地の所有・占拠、身分の証明が大きな問題となる可能性があります。

スーダンで活動する上での課題としては、
(1)安全の確保 (2)地理的要因 (3)人道機関とUNAMIDとのコーディネーションが挙げられます。

(1) 安全の確保
物資の強奪目的で国際機関の職員がアラブ系、アフリカ系の武装勢力に襲われる事件が起きています。ICC検察官がバシル大統領の逮捕状を法廷に請求したという状況下で、支援活動に関わる人員の安全をいかに確保するか、というのが大きな課題となっています。

(2)
地理的要因
アラブ系とアフリカ系の支配者層と被支配者層が逆転しているチャドから、それぞれの民族の支援目的で人の流入が多くあります。そのため、スーダン国内の政治だけではなく、長期的な解決のために、チャドとも国政レベルで問題を解決する必要があります。

(3)
人道機関とUNAMIDとのコーディネーション
UNAMIDは2008年の初めから本格的なオペレーションを開始しました。大別して治安維持・警察機能及び人道支援の2つのミッションを持っています。治安維持・警察機能を主としていますが、国連決議で承認された要員規模、26,000人には未だ遠く及ばず、10,000人以下の人員でミッションにあたっているのが現状です。また、現在武装した警察要員がいないため、治安維持部隊としての機能をうまく果たせずにいます。機能面とは別に、UNAMID人員のモラルの低さも指摘されることがあり、IDPからもUNAMIDは不要だ、という声が聞こえることもあります。そのため国連機関、NGOからは過剰な期待の裏返しとしてUNAMIDに対する不信感が募っており、UNAMIDとの軋轢が生じています。



 UNAMIDのもう一方のミッション、人道援助においても問題が生じています。それぞれの機関が担当分野を持っているため(例えば、UNHCRは難民保護、UNICEF(国連児童基金)は子供の保護)、UNAMIDの人道援助ミッションと重複があり、調整、協力の必要が生じています。UNAMIDとの間に限らず、それぞれの機関が異なるマンデート、異なるファンディングを持っているため、あまり協調が見られないこともあります。スーダン国内ではUNHCRを始め、国連を始めとする主だった国際機関、国際NGOは全て入っていると言って過言でない程、さまざまな機関がスーダンで活動を展開しております。そのような状況下で、いかに情報を共有し、目標のすり合わせを行い、協働するか、が効果的な人道支援活動、難民・IDP保護を行う上で課題となってきます。

【質疑応答】

Q1.キャンプ内で殺人等の犯罪が起きた時にどのような法的措置を取るのでしょうか?
A1.政府の警察に通報することを基本的に奨励します。UNAMIDが政府の警察機関をバックアップし、協調する任務を担っているので、UNAMIDを通じて、スーダン政府の警察が調書を取り、事件として処理するよう促します。ただ、通報をしたけれど、警察としてきちんと対応しないケースが見受けられます。多くはないけれど、警察がきちんとした措置を取ったケースもありますので、そのようなケースを一つ一つ積み上げていくことが大切だと考えます。また、IDPのなかには、政治的理由から警察等、政府の機関の介入を嫌がる者がいます。犯罪が起こった時は相応の措置を取る、という態度を示すと同時に、UNHCRが政治的に政府、警察と協働しているわけではないことをIDPキャンプ内の住人に知らせることが重要です。

Q2.犯罪が起きた後にキャンプの中が不安定になるかと思いますが、どのように対応するのでしょうか?
A2.確かに不安定にはなりますが、暴動が起こるようなことはありません。IDPキャンプ内の住人もなぜその人が殺されたのか、等の問題を理解しているので、犯罪が起こったからといってキャンプ内の秩序が崩壊するということはありません。ただ、各グループのリーダーにUNHCRのポリシーを伝え、それを住民に再確認してもらいます。

Q3.現在の反政府組織の状況について、お教えください。大きな組織がいくつかあるだけなのでしょうか、それとも小さな組織が無数に存在する状況なのでしょうか?
A3.以前は2,3の反政府組織があるだけでしたが、現在は分裂をして、数え方にもよりますが、10を超える組織が存在します。中には、政府に反旗を翻したアラブ系の武装勢力と連携して活動を行っている組織もあります。

Q4.UNHCRの活動として成果の見える側面は?
A4.定量的に示したいが、現地の状況からなかなか明示することが難しいのが現状です。ただ、人道支援の方では、数量的に見ることができると思います。例えば、緊急のシェルターを確保する、壊れた家を直す等、基本的な生活環境を援助するという意味では成果を定量的に見ることができます。

Q5.ICCの現職大統領の訴追により、ダルフール以外の地域でも治安の悪化が見られるのでしょうか?
A5.現職大統領の訴追というのは、スーダン全体の問題ですので、全域で不安定化を見ることができます。農村部でというよりは、政治の影響がより強い都市部での方が治安の悪化が見られるかもしれません。

Q6.スーダン政府は信頼に値する政府だと思われますか?
A6.スーダン政府の姿勢を考えると、アフリカ系住民を更に苦しませようという半人道的な明確な意図は見られず、国連・西洋社会に強い敵対心を持っているわけでもないので、約束を全て反故にする、という極端な態度を取ってくるとは思われません。ただ、国の主権・プライドがあるため、国としてのオーナシップを示すうえで国連等の国際機関の活動に非協力的となることはあります。スーダン政府としては、難民問題等は政府が解決すべき責任を担っている、国際機関は国内の機関、NGOのキャパシティ・ビルディングに注力して、順次出ってくれ、という姿勢を取っています。

Q7.難民の自立性を高めるプログラムとしてはどのようなものをキャンプ内で実施されているのでしょうか?
A7.IDPキャンプ設立当初からコミュニティの自立を高めるためのプログラムを実施しています。女性の自立を促すための委員会、所得創出のためのプログラム等があります。住民同士が教育し合い、コミュニティの中で活動をまわすようにしています。また、今年に入って、コミュニティによる自警を促す支援活動ができました。

Q8.治安の悪化は頻発するのでしょうか?
A8.以前ほどではないけれど、争いはまだ続いています。最近でも、ダルフール内で武力衝突や爆撃の情報が得られています。

第14回(2008年6月6日)「個人と国家の安全保障:小型武器、ジェンダー、治安部門改革の視点から」
 木田泰光氏(外務省軍縮不拡散科学部通常兵器室)、
 福井美穂氏(内閣府国際協力本部事務局研究員)
 瀬谷ルミ子(JCCP事務局長)

第14回「個人と国家の安全保障:小型武器、ジェンダー、治安部門改革の視点から」

木田泰光氏 (外務省軍縮不拡散科学部通常兵器室)
福井美穂氏 (内閣府国際協力本部事務局研究員)
瀬谷ルミ子 (日本紛争予防センター事務局長)

第14回JCCP研究会は、IANSA(国際小型武器行動ネットワーク)、WAVOC(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンターの共催で行われました。 講師に木田泰光氏(外務省軍 縮不拡散・科学部 通常兵器室)、福井美穂氏(内閣府 国際協力本部事務局 研究員)、瀬谷ルミ子事務局長をお迎えし、個人と国家の安全保障の問題について、それぞれ現場での経験をふまえたお話をしていただきました。

第13回(2008年5月18日)「国家建設における民軍関係−破綻国家再建の理論と実践をつなぐ」
 青井千由紀氏 (青山学院大学准教授)
 中満泉氏 (一橋大学客員教授)
 今井千尋氏 (東京外国語大学研究員)
 上杉勇司氏 (広島大学准教授,平和構築フォーラム事務局)
 岸守一氏 (UNHCR駐日副代表,平和構築フォーラム共同発起人)
 濱田貴之氏 (防衛省陸上幕僚監部副法務官)
 紀谷昌彦氏 (外務省国際平和協力室長)
 瀬谷ルミ子 (日本紛争予防センター事務局長)

第13回「国家建設における民軍関係−破綻国家再建の理論と実践をつなぐ」

青井千由紀氏 (青山学院大学准教授)
中満泉氏 (一橋大学客員教授)
今井千尋氏 (東京外国語大学研究員)
上杉勇司氏 (広島大学准教授,平和構築フォーラム事務局)
岸守一氏 (UNHCR駐日副代表,平和構築フォーラム共同発起人)
濱田貴之氏 (防衛省陸上幕僚監部副法務官)
紀谷昌彦氏 (外務省国際平和協力室長)
瀬谷ルミ子 (日本紛争予防センター事務局長)

第12回(2008年2月28日)「紛争後における小型武器対策プロジェクトの一例:カンボジア」
 木田泰光氏(外務省軍縮不拡散科学部通常兵器室)

第12回「紛争後における小型武器対策プロジェクトの一例:カンボジア」

木田泰光氏 (外務省軍縮不拡散科学部通常兵器室)

今回で12回目となるJCCP研究会では、JSAC(日本小型武器支援対策チーム)の一員として、2003年より約4年半、カンボジアでの小型武器対策活動に携わった外務省の木田泰光氏に講師としてお話いただきました。JCCPも、カンボジアで小型武器回収啓発と農村開発事業を実施した経験があるため、非常に意義深い機会となりました。



—講義内容—

 小型武器は世界中に拡散し、「事実上の大量破壊兵器」とも言われますが、日本政府はこれまで、国際的ルール作りと被害国現場でのプロジェクトの双方を進める二本柱アプローチにより、この問題に積極的に取り組んできました。

  被害を受けた現場でのプロジェクト実施の一例として、カンボジアの事例を紹介します。内戦が長期間続いたカンボジアでは、その小型武器が広く市民の手に蔓延していました。紛争後も残るこうした問題を解決し、小型武器対策を通じて平和構築を目指すため、日本政府によるプログラムが開始されました。
 紛争自体は終了しましたが、それでも小型武器を必要とする需要要因が、カンボジアでは大きく三つありました。一つ目が、治安の悪さによる自分や家族の安全を自衛する必要性。二つ目が、紛争中に浸透した暴力の文化(武器を使った問題解決など)。三つ目が、武器に付与された「貨幣価値」。
 小型武器回収にはさまざまな方法が考えられますが、このプログラムでは、ワークショップ開催の繰り返しを中心とする啓蒙活動により、住民が小型武器を自発的に放棄するよう取り組みました。その背景として、需要要因の三つ目にあげた、小型武器が「貨幣価値」を持つ現実がありました。カンボジアでは、政府や国際機関、NGOなどにより、武器の「買い取り」や開発プロジェクトとの「交換」(いわゆるWeapons for Development)による武器回収が繰り返し実施されてきました。そのため住民が、武器を保有していれば何かと交換してもらえると理解し、武器を保有する要因(需要)となっていました。そのため、小型武器による悪影響、法律の規定、平和なコミュニティの恩恵などを教育し、武器が不要であることを啓蒙することにしました。  
 同時に、住民の治安を守る警察の能力向上を支援し、行政関係者や警察官、軍人などと住民の間に信頼を醸成する場を提供するなど、治安改善や平和の文化に資する活動も進め、武器の需要要因を削減するよう取り組みました。  

 その結果、最初は「政府は、日本は武器が何丁ほしいんだ?何丁出したら学校を、井戸を作ってくれるんだ?」と、武器の交換条件ばかり聞いてきた住民たちが、最後には、「自分たちにとって最大の開発は、ここに学校が建ったことではなく、武器がなくなり平和になったことだ」と言うようになりました。このことばは、啓蒙活動の最大の成果を良く表しており、非常に嬉しかったのを覚えています。  
 しかし、ここで重要なことは、「交換」による武器回収が間違っていて、「啓蒙」による回収が正しいということではありません。「交換」が機能しうる地域や情勢があれば、「啓蒙」が効果的なケースもあります。(今のアフガニスタンやイラクで「啓蒙」は機能しないでしょう。)小型武器回収といっても、情勢、背景、時代、文化など、さまざまな要因によって効果的な方法は異なるのです。  
 このプログラムを通じ、いくつかの教訓がありました。一つが、小型武器対策は包括的に実施される必要があるということです。特に、回収、破壊、管理は、すべてが考慮される必要があります。
 次の教訓は、小型武器回収での議論と重なりますが、情勢や背景などによって、とられ得る方法は異なり、目的すらも変わるため、現地の情勢にあったプログラム設計が必要であることです。DDRの一部として取り組まれることもあるでしょうし、「交換」や「啓蒙」などの方法が効果的な場合もあります。同じ地域であっても、ずっと同じ方法が機能するわけではなく、常に最適な方法を考える必要があります。一過性の取り組みではないのです。

  もう一つの教訓は、小型武器問題は他のさまざまな問題と関連していることです。特に治安面から、SSRの視点は非常に重要ですが、他にも、開発、教育、ガバナンスなど、相互に影響を与えるものが多くあります。紛争が落ち着くと、そこで取り組みが終了するケースがありますが、息の長い対策が必要です。  
 結局、当然のことですが、どんな現場にでも当てはめられるようなプロジェクト、つまり決まった公式のようなものはありません。現場とそれに対するアプローチはさまざまであり、常に最適な方法を考えていく必要があります。

第11回(2007年11月27日)「平和維持から平和構築へ:シエラレオネとハイチにおけるDDR」
 Desmond J. Molloy氏 (東京外国語大学特別研究員)

第11回「平和維持から平和構築へ:シエラレオネとハイチにおけるDDRパラダイム・シフトの課題」

Desmond J. Molloy氏 (東京外国語大学特別研究員)

—講義内容—

モロイ氏は現在東京外国語大学、特別研究員として日本で活動しています。27日の研究会ではデズモンド氏が参加した国連ミッションを通して、国連DDR 実施における個人の課題をテーマにシエラレオネとハイチにおける敵対的環境下での政治的、社会的なダイナミズムと、それが及ぼすコミュニティの構成員への働きかけを通して地域のそれぞれの役割を持った人々の事業への参加事例を紹介しました。

紛争後、武装グループから動員解除された人々が生計支援のネットワークから切り離されると、社会は再び治安上のリスクを増大させます。よって、こうした人々が市民生活を営むの準備を整えることが重要課題とされ、動員解除された人々だけではなくその家族も含めて武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)のプログラムに参加することを促しています。より多くの人々がDDR プログラムに参加することによりプロジェクトの目的が果たされます。

武器回収だけが紛争を解決するのではありません。破壊された武器の数量を数えてもDDR のミッションを評価することにはならないのです。

シエラレオネの事例では、職業訓練のカリキュラムを形成するために参加者の希望を取り入れる等、コミュニティの一人一人がプロジェクトに参画するためにデザインされています。

生計向上のための自立を促すことが、コミュニティに活力を与えます。DDR プロジェクトはコミュニティの構成員が長期的な展望のもとに自分たちのプロジェクトとして感じられるようになることが大切なのです。さらにNGO、政府、開発事業の支援者も長期的な視野からコミュニティと連携することが必要なのです。

第10回(2007年10月22日)「脆弱国家における治安部門改革(SSR)の機会と課題―ソマリアを例に―」
 Freddie Bategereza氏
 (国連ソマリア政務事務所(UNPOS)DDR顧問)
 「人間の安全保障面からみた治安部門改革(SSR):
 コンゴ民主共和国における平和,安定,開発における課題」
 Jonas Mfouatie氏
 (コンゴ民主共和国国連開発計画(UNDP)イトゥリ事務所長)

第10回「脆弱国家における治安部門改革(SSR)の機会と課題―ソマリアを例に―」

Freddie Bategereza氏
(国連ソマリア政務事務所(UNPOS)DDR顧問)

「人間の安全保障面からみた治安部門改革(SSR):
コンゴ民主共和国における平和,安定,開発における課題」

Jonas Mfouatie氏
(コンゴ民主共和国国連開発計画(UNDP)イトゥリ事務所長)

—講義内容—

【ソマリア】

講師—Bategereza氏

「脆弱国家における治安部門改革(SSR)の機会と課題—ソマリアを例に—」

Bategereza氏からは、政治的基盤が不安定である現在のソマリアにおけるSSRの概念と、その改革達成のための重要な構成要素(警察改革、 DDR、地雷処理、暫定的な司法制度、法の整備など)について説明が行われた。またSSRの主要な問題点は、ソマリア部族で構成される民間治安部隊であるが、同時に復興も優先される状態のソマリアにおいて、現段階で機能していないSSRを実現するために以下の課題が指摘された。

ソマリアにおけるSSRの4つの課題

1. 前提条件

部族システム(部族社会)は、主要なグループ間で互いに意思の疎通が図れず、不信感を抱かせる要因となっている。2005年、和平協定が調印されたが、調印内容の実現は困難であり、ソマリアでは現在でも政治的不安定状態が続いている。

2.SSR達成の手段

DDRは実施されていないのに加え、法整備も実質的には存在していない。

1.SSRの要素間における格差

現在は、経済的要素が紛争の結果を左右している状態が続いている。また、ソマリアのもう一つの問題は、エチオピア軍によるソマリア暫定連邦政府(Transitional Federal Government, TFG)の保護問題である。

さらにBategereza氏は、政府や部族がそれぞれ自己防衛のために独自の安全保障体制を取っているという事実が、SSR達成に大きな障害となっていると指摘した。結論として、政府が安定していない現在のソマリアでは、SSRが達成されるのは不可能であると強調した。

2.国際的な懐疑的見解

SSRの達成に大きな障害となる政府内部の問題に加え、国際社会がソマリアの国内事情に関心が向いていない現実についても指摘した。国連部隊の不足からソマリアでは武力闘争が広がり、結果無政府状態に陥った経緯があり、現在でも大きな治安上の問題を抱えている。そのため、危険な地域と認識されたままのソマリアには、各国は平和維持軍を派遣するのを避ける傾向にある。

その一方で、ソマリアにおける政治的意志決定の欠如と政府の機能不全は、SSRを麻痺させる重大な要因となっている。また、ソマリアが永続的な平和と持続可能な発展を得られるような政治的解決を成し遂げるためには、現地の人々への積極的な理解を示すことが重要である。そのためには、より具体的で組織的な政策を提示し、紛争を回避する平和的な環境づくりへの働きかけを行う必要があると締めくくった。

【コンゴ民主共和国】

講師—Mfouatie氏

『人間の安全保障面からみた治安部門改革(SSR):コンゴ民主共和国における平和、安定、開発における課題』

Mfouatie氏は、国民生活の安定およびその国の文化を保つことが、コンゴ民主共和国がSSRとともに発展する上で重要であるという持論を展開し、人間の安全保障の観点から捉えるSSRに焦点を当てて説明を行った。

人間の安全保障は、人間の生命への脅威を取り除くことである。そこでMfouatie氏は、適切な紛争後の安全保障戦略は「紛争」と「開発」の双方に目を向けたものでなければならないと強調した。

Mfouatie氏は、コンゴ民主共和国におけるSSRのさまざまなステップについて述べた。その一例として、コンゴ民主共和国軍(FARDC)の計画を例にあげ説明した。FARDC再建構想は最善の策であると思われたが、努力不足と行動の遅れが国家の復興と安定化にとって障害になった。

ソマリアと比較する限りでは、コンゴ民主共和国の未来は明るいといえるだろう。しかし、たとえDDRの達成度が高いとしても、今はできる限り早期に現行の軍と警察における改革を完了させることが重要であると、Mfouatie氏は述べた。

さらに、ベルギー政府やオランダ政府、 EUなど、積極的にコンゴ民主共和国のSSRへ貢献している国際的なドナーの重要性も強調した。また、2000年以降、UNDPは紛争危機・紛争後の国々に対する開発戦略を改訂し、4つの危険因子を示した。それは「不公平、不平等、正当性、不安定性である」。

最後にMfouatie氏は、コミュニティを保護するには、治安の保障、人道支援の提供と危機に晒される市民へのエンパワーメントが必要であると結論付けた。その点では、2006年の選挙は安定したSSRの遂行を促し、コンゴ民主共和国における安全と平和を回復させたというのが彼の見解である。

両氏の講演後、質疑応答が行われた。質問内容は、ソマリアとコンゴ民主共和国でのSSRに留まらず、アフリカ連合(AU)やダルフール危機に関しても質問が出され、アフリカ地域に対する関心の高さが伺えた。 

モロイ氏は現在東京外国語大学、特別研究員として日本で活動しています。27日の研究会ではデズモンド氏が参加した国連ミッションを通して、国連DDR 実施における個人の課題をテーマにシエラレオネとハイチにおける敵対的環境下での政治的、社会的なダイナミズムと、それが及ぼすコミュニティの構成員への働きかけを通して地域のそれぞれの役割を持った人々の事業への参加事例を紹介しました。

紛争後、武装グループから動員解除された人々が生計支援のネットワークから切り離されると、社会は再び治安上のリスクを増大させます。よって、こうした人々が市民生活を営むの準備を整えることが重要課題とされ、動員解除された人々だけではなくその家族も含めて武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)のプログラムに参加することを促しています。より多くの人々がDDR プログラムに参加することによりプロジェクトの目的が果たされます。

武器回収だけが紛争を解決するのではありません。破壊された武器の数量を数えてもDDR のミッションを評価することにはならないのです。

シエラレオネの事例では、職業訓練のカリキュラムを形成するために参加者の希望を取り入れる等、コミュニティの一人一人がプロジェクトに参画するためにデザインされています。

生計向上のための自立を促すことが、コミュニティに活力を与えます。DDR プロジェクトはコミュニティの構成員が長期的な展望のもとに自分たちのプロジェクトとして感じられるようになることが大切なのです。さらにNGO、政府、開発事業の支援者も長期的な視野からコミュニティと連携することが必要なのです。

第09回(2007年9月11日)「DIAGという試み −アフガニスタンにおけるDDR以降の武装解除−」
 窪田朋子氏
 (日本貿易振興機構アジア経済研究所
 新領域研究センター・国際関係/紛争研究グループ)

第09回「DIAGという試み −アフガニスタンにおけるDDR以降の武装解除−」

窪田朋子氏
(日本貿易振興機構アジア経済研究所
新領域研究センター・国際関係/紛争研究グループ)

9月11日(火)当センターの人材ネット関係者勉強会による第9回勉強会が開催され、アジア経済研究所の窪田朋子氏よりアフガニスタンDDR以降の武装解除について報告がありました。

 国家再建の政治プロセスが開始されてから約6年の歳月が経ったアフガニスタンでは、治安の悪化が未だに懸念されている。アフガニスタンにおける治安分野改革(SSR)は重要であり、本勉強会はSSRにおける進捗・課題を確認し、非合法武装集団解体(DIAG)に関する理解を深めることを目的とした。

 アフガニスタンのDIAGの課題について語る窪田朋子氏 ー9月11日日本紛争予防センター東京事務局にて SSR の中でも日本が主導したDDRは6万3千人の武装解除を行い2006年に完了した。また、DDRが実施されてる中、DIAGという新たな武装解除プログラムが開始された。DDRでは、すべての武装集団を対象にしなかったことと小型武器の回収を目的としなかったなどの課題を残した。DIAGではそれらの課題を踏まえた上での活動が期待されている一方、道は険しく未だに解体を宣言した武装集団は2桁にとどまるのが現状だと言う。窪田氏は国連や国際治安支援部隊(ISAF)ではなく、国家警察が主体となって武装集団に対して適切な働きかけを行うことが重要であり、時間はかかるけれども習得過程として国際社会も気長にその努力をサポートしなければならないと述べた。

—講演要旨—

 アフガニスタンは国家再建の政治プロセスが開始されてから約6年の歳月が経ったが、いま治安の悪化が懸念されている。民主化プロセスによって生まれた政府が、自らの正当性を確固たるものにするためにもアフガニスタンに於ける治安分野改革(SSR)は重要である。したがって、本勉強会は、アフガニスタンの治安情勢を踏まえながら、SSRの進捗・課題を確認し、現在日本政府が支援している非合法武装集団の解体(DIAG)に関する理解を深めることを目的とした。

 昨夏以降、南部・南東部におけるタリバンの活動は2001年に政権が崩壊してから類のないほど組織化され、外国軍や政府関係者を狙った事件が頻発している。郡庁舎などに対する攻撃・占拠と同時に、遠隔操作爆弾による攻撃が常態化し、一般市民の被害者は増加している。もはや治安事件は南部・南東部に限られる問題ではなく、西部、北部にまで広がりを持っており、今後も自爆テロや遠隔操作爆弾による脅威は続く見込みと窪田氏は述べた。

 では、2002年から国際社会が巨額の支援を行ってきているSSRは果たして何合目まできたのだろうか?その問題意識を念頭に窪田氏は、SSRをピラー毎に分けて進捗と問題点を解説した。結論としては、日本が主導したDDRは予定通り2006年に完了したものの、国軍創設(米)、警察改革(独)、司法改革(伊)、麻薬対策(英)についてはいずれも発展途上で苦戦を強いられているのが現状である。DDRは省庁の能力構築という部分では他の分野よりもはるかに負担が軽かったという点はプログラムが時間通りに完了させることを助けた要因であるが、日本が支援したDDRの成果に持続性を持たせるためには、他の SSRの確実な成長を確保しなければならない。さもなければ、大統領選挙の実施を実現したという良い記憶だけを残して、達成した成果が減じられる可能性は否定できないと窪田氏は指摘した。

 DDRが実施されている中でDIAGという新たな武装解除プログラムが開始された背景について窪田氏は、DDRが積み残した課題を2点挙げた。それは、 DDRは全ての武装集団を対象にしなかったことと小型武器の回収を目的としたものではなかったことである。DIAGはDDRと異なりアフガン政府が主導していくことが期待されているが、その道は険しく歩みは遅い。DDRが6万3千人の武装解除を行った事実と比べれば、未だ正式に解体を宣言した集団数は二桁にとどまるというDIAGの成果は限定的と言えよう。DIAGの障害は数多くあるが、中でも責任ある要職に就きながら武装集団との繋がりを持ち、DIAG に反対する人物の存在である。しかし、カルザイ政権が聞くべきは自らの利得でDIAGに反対する有力者の声ではなく、DIAGを支持している民衆の声のはずである。窪田氏は、国連や国際治安支援部隊ではなく、国家警察が主体となって武装集団に対して適法行為を行うことが重要であり、時間はかかれども習得過程として国際社会も気長にその努力をサポートしなければならないと述べ総括した。最後に、参加者との間で活発な質疑応答が行われた。

第08回(2007年7月7日)「アフリカにみる地域機構と国際平和活動研修のニーズの変化」
 瀬谷ルミ子  (日本紛争予防センター事務局長)

第08回「アフリカにみる地域機構と国際平和活動研修のニーズの変化」

瀬谷ルミ子  (日本紛争予防センター事務局長)

5月からおよそ1ヶ月間、西アフリカに位置するガーナのコフィ・アナン国際平和維持活動訓練センター(Kofi Annan International Peacekeeping Training Centre;KAIPTC)にて、国連PKO要員を対象とした研修を実施しました。そこでは講師として主にDDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration)や治安維持、交渉、広報、選挙監視、軍民協力などについて担当しました。DDRとは兵士の武装解除、動員解除、社会復帰を行う活動であり、最近では紛争後の平和構築作業には必ずといっていいほど盛り込まれています。しかしDDRはただやればいいというものではありません。停戦合意がまともになされていない状態で実施したり、片方のグループに肩入れしていると思われたりしては、紛争の再燃に繋がってしまいます。いずれも現地の状況やニーズに合わせた実施が望まれています。

 最後に、DDRや平和構築分野での活躍の場について、国連機関を中心に紹介しました。今後ますますこの分野での人材の育成・活躍が期待されています。

第07回(2007年6月1日)「東ティモールの政治情勢について」
 長谷川祐弘氏 (元国連事務総長特別代表(東ティモール))

第07回「東ティモールの政治情勢について」

長谷川祐弘氏 (元国連事務総長特別代表(東ティモール))

長谷川氏はまず去年(2006年)の4・5月に東ティモールの首都ディリで武力闘争が起った背景と根底にある要因を分析され、平和と国家構築が成就するには長期間かかることを指摘された。そして国連の指導のもと国際社会が一致団結して自由で公正な議会選挙が実施され民主主義の理念に基づいた統治体制が築きあげられるよう関与・支援していく必要性を述べました。

 1999年の紛争後、独立を回復し、東ティモールは国際社会の支援の下、着実に平和構築と国家建設を進めてきたが、国家統治基盤はひよわで権力闘争を平和裏に処理できる能力と環境が整っていなかった。また国連安全保障理事会が、国連事務総長の勧告に反して、国連軍と国連警察を撤退させる決議を通してしまったことは重大な過ちであった。そして国連が平和維持部隊と警察隊を既に撤退してしまっており、2006年の5月に都ディリで暴動と武力闘争が激化すると国連としては平和維持隊と警察隊を既に撤退してしまっており、オーストラリアを主とした国際治安部隊に出動し鎮圧してもらう結果となった。長谷川氏は東ティモールで起った暴動と武力闘争の経過を顧みて、国連軍と警察隊の存在が紛争を長く経験してきた国々において民主主義国家造りを行う過程で国内の治安を維持していくためには非常に重要であることを力説しました。

 暴動が起った直後に国連が真実解明のための独立調査委員会を設立して現地調査を行い、暴動時の刑事犯罪者の責任を追求するよう勧告したことは有意義であると長谷川氏は述べました。この勧告に従って東ティモ-ルの司法当局は国連の支援の下に前内務大臣ロバト氏を含む刑事犯罪を起したとみなされる軍事・警察当局の関係者の裁判を始めました。一方、アルカティリ前首相が率いるフレティリン(与党である東ティモール独立革命戦線)急進派は、暴動と武力闘争は政府転覆を意図する者たちが始めたので、その原因解明をまず行うべきであると国会を場で反論し始めました。こうして、今回の大統領選挙と議会選挙は今後の政権をどの政党そして指導者が担うかの政治闘争になっており情勢はなおも不安定であるとのことです。そして政権問題が解決されず治安が安定していないため、多くの住民が避難民キャンプや郊外から首都に戻れない状況が続いています。如何に東ティモールがこの政治的課題を乗り越えるかが注目されています。

 国連安全保障理事会は東ティモ-ルの平和構築そして選挙支援をするために2006年8月に「国連東ティモ-ル統合ミッション(UNMIT)」を設立し、東ティモ-ルに対する平和構築支援活動を統合的に行っている。しかし政治的な闘争がいかにして平和的に解決されるかは国際治安部隊の駐留が必要であり、それと同時に政治、司法、経済、人道、社会面における平和構築支援活動が必要である。そして「法の支配」を確立するためには各々の支援国の理念、思想と価値観を有機的に統合していく必要性が新たな課題となってきたと指摘されました。

 長谷川氏によると、4・5月に行われた大統領選挙の投票結果は予測していた通りであって、選挙民が自分の意思に従って投票された結果であるとのことです。しかし議会選挙は特定の指導者を対象とした大統領選と異なり多数の政党により戦われるので、投票結果は完結なもにはならない可能性があるとのことです。前大統領のグスマン氏の率いる東ティモール国家再建評議会(CNRT)が第一党になる可能性が強いが、東ティモール独立革命戦線・フレテリンは政権政党として残存出来るように選挙法改正も試みておりまた新たな集票活動をする思われ、公平な選挙を実現するために国連の役割が重要になってきているとのことです。具体的には選挙運動が行われる間の治安維持は周到に行われなくてはならず、選挙投票が自由に行われ、信頼されるような結果であるように監視するのみならず関与していく必要性があるとのことです。長谷川氏は東ティモールでは多くの人々が国連に中心的な役割を担ってほしいという強い願望を持っており、オーストラリアの率いる多国籍軍と1608人の国連警察官の存在は非常に大事であると指摘されました。

 長谷川氏は東ティモールで暴動と武力闘争が起こる根底にある要因として指導者の権力欲と警察や国防軍といった治安機関の乱用、特権を得た官僚等政府関係者の汚職、そして指導者による民主主義と法の支配の理念の軽視を指摘して、紛争の再発防止の観点から、国際社会は議会選挙を公明正大に行えるように関与していくと共に、治安維持に責任のある警察そして軍隊のセキュリティー・セクター・リフォーム(SSR)、真実・公平・正義を確立するための司法機関の独立と尊厳の確保、透明で説明責任を果たせる政府の理念と価値観の育成、そして民主主義政治の理念の確立の為に支援していく必要があると述べられました。そのために日本が世界の各地で展開している平和構築支援活動をより効果的に実施するためには、国連平和維持・構築活動に従事していける行政官や司法官などの要請が急務であると指摘しました。

第06回(2007年5月25日)「東ティモール・大統領選挙監視活動報告」
 上杉勇司氏 (広島大学大学院国際協力研究科准教授)

第06回「東ティモール・大統領選挙監視活動報告」

上杉勇司氏 (広島大学大学院国際協力研究科准教授)

2007年の4月9日および5月9日に実施された東ティモール大統領選挙監視活動の報告が広島大学大学院国際協力研究科の上杉勇司准教授よりあった。その概要は次の通り。まず、上杉氏が監視員として派遣された東ティモールの東部にあるバウカウ県の模様などのスライドを見ながら、東ティモールの概要説明があった。上杉氏はポルトガルによる植民地支配、第二次世界大戦中の日本軍による占領、フレテリンと呼ばれる民族独立運動勢力による東ティモールの独立宣言とその後のインドネシアによる軍事併合などの東ティモールの略史の説明を行った。インドネシアのスハルト政権の崩壊に伴い、事実上の東ティモールの独立を問うことになった1999年の直接住民投票と統合派民兵による破壊や殺戮、事態の収拾のために国連安全保障理事会に授権された豪州軍を中心とする多国籍軍(INTERFET)の介入など、国際社会が東ティモールの選挙監視を行うようになった背景もあわせて説明された。

 上杉氏は2001年の制憲議会選挙、2002年の大統領選挙、2005年から約一年間をかけて実施された村長・村議会選挙も監視した経験があり、当時と比較しつつ、今回の大統領選挙の模様を説明した。今回の選挙は2006年4月に西部出身の国軍兵士の抗議運動に端を発した一連の騒擾事件を受けて、国際社会も関心を寄せた選挙になった。東ティモールの全般的な治安維持のために、豪州軍を中心とした多国籍軍が展開し、国連も警察を主体とする国連東ティモール統合派遣団(UNMIT)を展開して、選挙を迎えた。近年の国連平和活動の特徴として、コンスタビュラリーと呼ばれる準軍事組織(重武装で組織的に行動する警察部隊)の役割が注目を集めている。東ティモールでも通常の文民警察(UN Police)に加えてFormed PoliceやSpecial Policeといったコンスタビュラリー系の警察部隊が活動していた。上杉氏が派遣されたバウカウでは、バングラディッシュから暴動鎮圧を専門とした特殊警察部隊や要人保護を専門とし機関砲を装備した装甲車を擁するポルトガルのコンスタビュラリーも展開していた。豪州軍は、首都ディリの治安上の拠点や要所を警戒警備したり、巡回したり、検問を設けるなどして警戒にあたっていた。豪州軍は反乱勢力の捕獲・鎮圧作戦を実施しており、実際に反乱勢力側に死傷者が出ている。しかし、今回の豪州軍の活動は1999年のINTERFETとは異なり、国連安全保障理事会の授権による行動ではなく、東ティモールと豪州の二国間条約に基づいて派遣されている。豪州軍の東ティモールでの武力行使について法的にグレーの部分がある点、かつ住民の対豪州感情が悪化している旨が上杉氏より指摘された。

 実際の選挙に関しては、深刻な問題や不正もなく順調に実施された旨が説明された。とりわけ、投票所のスタッフは責任感を持ち主体的に業務に従事していた点が高く評価された。しかし、今後の課題として国家選挙委員会(CNE)の権限強化、選挙管理技術事務局(STAE)の中立性の確保、選挙中の異議申し立て等を公正に処理していくプロセスにおける最高裁判所の役割などが指摘された。日本政府派遣の選挙監視団の特徴として、短期監視員ということもあり、基本的には投票・開票行動のみを監視するに留まっていて限界もある。団長を中心に日本選挙監視団は象徴的・政治的な効果を狙ったものである。その意味で、東ティモールの国内選挙監視員とは異なる役割を果たしている。そもそも選挙監視活動は当該選挙の正統性を確保するための支援である。今後の展望として、その効果を高めていくために、現地大使館との連携、国内選挙監視員との連携、アジア諸国との連携を進めていくべきである旨が上杉氏より指摘された。

 6月30日には独立後最初の議会選挙が実施される。東ティモールにおいては大統領の権限は象徴的なものであり、実質的には一院制の国会で最大与党となった政党が選定する首相に権限が集中している。したがって、大統領選挙において惨敗した最大与党のフレテリンが、議会選挙をにらんで死にものぐるいで対策を講じてくることが予想される。選挙法に基づいた活動であればいいが、ここで不正が生じたり、議会選挙後に治安が悪化したりするかもしれない旨が上杉氏より指摘された。このような東ティモール政治情勢や今後の展望については、東ティモールの平和構築において要職に就いていた長谷川氏(次回講師)に譲り、今回の講話は長谷川氏の前座として位置づけるとよいという結論で研究会を締めくくった。研究会に引き続き、ビールやワインにピザなどを交えて和気あいあいとした雰囲気で懇談会が開かれた。そこで、選挙支援や東ティモール情勢についてなどざっくばらんに意見交換を行った。

第05回(2007年5月19日)「平和構築と日本の国家戦略」
 小川和久氏 (軍事アナリスト,日本紛争予防センター理事)

第05回「平和構築と日本の国家戦略」

小川和久氏 (軍事アナリスト,日本紛争予防センター理事)

4月19日(木)当センター人材ネット関係者による第5回勉強会が当センター会 議室で開催され、講師の小川和久理事(軍事アナリスト)が「平和構築と日本の国家戦略」と題して概要次のとおり報告しました。

 「平和の実現(平和構築)に向けての日本の役割を考えるには、最初に日本の外交・安全保障構想を描き、そこにおける「平和創造力」(防衛力整備、援助外交など)と「同盟関係の選択」について、その位置づけを整理する必要がある。その構造から見たとき、日本の防衛力は外国を壊滅させられるような国家的な戦力投射能力を備えておらず、自立した軍事力ではない。  

 この防衛力の現状を踏まえるとき、日本の選択肢は、軍事的自立か、現状のさらなる国益への活用かに分かれる。だが、自立できない軍事力を日米同盟で補う形の現状の継続を日本政府が公式に表明すれば、日本は周辺諸国の懸念や反発を招かない環境のもと、必要とされる国際平和協力活動に自衛隊を派遣できるようになる。自衛隊の派遣によって平和構築の足場を固める日本の国際平和協力活動から生まれる信頼と評価が、日本の安全と繁栄を確かなものにすることは間違いない。

 以上の報告の後、参加者たちとの間で大層活発な意見交換が行われました。

第04回(2007年3月14日)「治安と開発の統合—課題と優先順位」
 Owen Greene氏
 (英ブラッドフォード大学平和研究学部・国際協力安全保障センター長)

第04回「治安と開発の統合—課題と優先順位」

Owen Greene氏
(英ブラッドフォード大学平和研究学部・国際協力安全保障センター長)

3月14日(水)夜、当センター人材ネット関係者による第4回勉強会が当センター会議室で開催され、ブラッドフォード大学のオーエン・グリーン教授が「治安と開発の統合—課題と優先順位」と題して概略次のような報告をしました。

 「開発援助機関は伝統的に治安問題からは距離を置いてきたが、最近では紛争と治安と開発の三者の密接な関係が認識されるようになり、とくに紛争の予防、管理、削減(CPMR)を念頭に置いた開発援助ガイドラインがOECD/DACなどで整備されてきた。さらに最近では紛争に陥りやすい脆弱国家の問題もあり、DDR(武装解除、動員解除、社会復帰)、SSR(治安部門改革)、SALW(小型武器問題)などの治安問題にも配慮する包括的開発援助政策が重視されるようになってきた。企画から実施までのすべての段階で問題の十分な理解と評価が必要であるのみか、内外のどのパートナーと組むかの問題など、多くの要素が複雑に絡んでいるので、最善を尽くしても挫折はあり得る状況である。未だ決して満足できる状況ではないが、経験を積むことにより対応能力は着実に向上してきている。」

 以上の報告を受けて勉強会参加者たちとの間で活発な意見交換が行われました。

 なお、別途ご案内しましたようにグリーン教授は以上の勉強会に先立ち14日午後には国連大学で外務省と当センターが共催した公開講演会において小型武器問題につき講演されました。

第03回(2007年2月20日)「JICAによる平和構築支援」
 杉下恒夫氏 (茨城大学教授・JICA客員国際協力専門員)

第03回「JICAによる平和構築支援」

杉下恒夫氏 (茨城大学教授・JICA客員国際協力専門員)

2月20日(水)に当センターの人材ネット関係者による第3回目の勉強会が当セン ター会議室で開催され、杉下恒夫氏(茨城大学教授・JICA客員国際協力専門員:写真右)から「JICAによる平和構築支援」について報告が行なわれました。

 東ティモール、スリランカ、フィリピン・ミンダナオ島、ボスニア・ヘルツェゴビナなどでのJICAの国際緊急援助隊(JDR)の活動、復興支援事業を例に取り上げ、JICAによる平和構築支援の位置づけ、その支援策などについて説明がありました。また、マスコミュニケーションを専門とする杉下氏の視点から平和構築支援の世論確立の重要性および復興支援に必要なのは、失敗を恐れないこと、「Trial and Errorでよい」とのお話がありました。

第02回(2007年1月17日)「日本の平和構築:アフガンから考察する」
 伊勢崎賢治氏 (東京外国語大学大学院教授,日本紛争予防センター理事)

第02回「日本の平和構築:アフガンから考察する」

伊勢崎賢治氏 (東京外国語大学大学院教授,日本紛争予防センター理事)

1月17日(水)に当センターの人材ネット関係者による第2回目の勉強会が当センターの会議室にて開催され、伊勢崎賢治理事(東京外国語大学大学院教授)から「日本の平和貢献:アフガンから考察する」と題して次のような報告が行われました。

 「アフガニスタンでは未だタリバンとの戦争が続いていますが、わが国は2002年4月のG8治安会合で合意されたアフガンの治安改革の一環として軍閥解体のためのDDR(武装解除、動員解、元兵士の社会復帰)に協力し、私も2003年4月から約1年現地でそのお手伝いをしました。もちろん軍閥はこれに非協力的であったのでいろいろと困難はありましたが、一応所期の目的を達成することに成功しました。しかし、それによりすべての問題が解決したわけではなく、特に警察部門の改革などが遅れ、現在では治安も悪化している状況のようです。

 伊勢崎理事によりアフガニスタン武装解除について報告された。わが国のアフガンでの平和貢献は、一言で云えば、DDRのように本来は高度に軍事的な任務であってもこれに非軍事的な方法で協力するほかはなかったということでしょう。また、イラクにおけるように自衛隊が海外に派遣される場合でも、他の諸国から派遣される軍隊とは違って軍事部門での協力が制約されるという問題を抱えているところに日本の平和貢献の特殊性あるいは制約があると考えるべきでしょう。」

この報告に続いて10数名の参加者たちとの間でわが国の自衛隊の平和貢献のあり方、わが国のNGOの平和貢献のあり方について極めて活発な討論が行われました。

第01回(2006年12月25日)「武器管理と平和構築」
 堂之脇光朗氏 (日本紛争予防センター理事長)

第01回「武器管理と平和構築」

堂之脇光朗氏 (日本紛争予防センター理事長)

12月12日(火)当センター会議室にて当センターの人材ネット関係者による勉強会が開催され、堂之脇理事長から「武器管理と平和構築」と題して報告が行われました。(理事長の掲示板参照)
参加者達の間で活発な意見交換が行われました。